街を歩こう。山を歩こう。嵯峨野を歩こう。旅を歩こう。維新を歩こう。映画を歩こう。

月に一・二度はフェアウェイも歩こう。お気楽な日々を、お気楽に記録していこう。

お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2009年4月29日水曜日

松尾大社の神輿渡御


先日、松尾大社の山吹が美しく咲いていると新聞に記事が出ていた。日曜日に出かけようと思ったが、朝から大荒れ。植木が倒れる、洗濯物が倒れる、ひどい突風。札幌は雪、川奈でおこなわれていたフジサンケイレディスが風で中止になるくらい日本全国で大荒れだった。でもまぁ、小降りになってきたので出かけることにした。
嵐山から松尾大社へぶらぶらあるいていくと、お神輿が休憩している。お祭りがあることは知っていたが、天気の具合で進行が遅れているみたい。お茶接待所でもらったチラシによると、一千年以上の歴史ある祭りで、神輿が船で桂川を渡るらしい。これは面白そうとついていった。

松尾大社は松尾山の巨岩信仰を起源とするが、渡来した秦(はた)氏が、現在の地に社殿を建立したとか。平安遷都の際、賀茂神社とともに皇城鎮護の社とされた歴史ある神社で、酒造の神様としても有名。この祭りは、松尾七社(大宮社、月読社、宗像社など)のお祭りで、松尾大社にそれぞれの神輿が集合。神事が執りおこなわれた後、松尾・桂の里を通って、桂離宮の東北に川岸にむかう。ここから、桂川を神輿が船で渡る渡御神事がおこなわれる。
こんなお祭りがあるとは、知らなかった。いやぁ、京都は深い。朝日新聞やめて、京都新聞にすべきか。それにしても神輿を担ぐ若い衆は寒そう。冷たい雨だけでも大変なのに、川に入って神輿を船に。さすが京都洛西の総氏神、10万戸の氏子のお祭りでした。

このお祭りには、”おかえり”と呼ばれる「還幸祭」というのが5月17日にあるそうだ。それぞれのお旅所におかれていたお神輿が、西寺跡に集合し、列を整えて神社へと帰っていくらしい。その折、葵と桂で飾るので「葵祭」と呼ばれるとか。上賀茂の「葵祭」が有名だが、この祭りや伏見稲荷の祭りも「葵祭」の伝統があるそうだ。

2009年4月25日土曜日

おくらの花なのだ


きれいな花でしょ。ハイビスカスのような洋風の花のようでもあるし、品のある美しい色使いは日本古来の花のようでもある。実はこれは「おくら」の花で、昨年、家のベランダでウチのKさんが育てていたものです。おくらの花がこんなに美しいものとは、昨年まで知りませんでした。
おくらは、きれいな花を観賞したあとも、実が大きくなっていくのを見ながら楽しめる。ベランダで野菜を育てると、けっこう長く楽しめます。大きくなってきたら、焼いて、アツアツにカツヲをかけていただきます。おくらの実はけっこう収穫でき、9月頃まで少しずつ食卓を彩ってくれました。これがまた、冷酒とあったりして。

それにしても、きれいな花だと思うのです。実になるのを待つより、切りとって飾ってみるのも悪くない。初夏の玄関を彩る花になるでしょう。Kさんによれば、苗を5月頃買ってきて植えるのが良いとか。それ以上早いと、寒さに弱いので、やられてしまうとか。といっていたのに、先週、苗を売っていたので思わず買って植えていました。今年は暖かいのでOKでしょうか?さて、今年はどれくらい実をつけてくれるのでしょう。

わが家のプランター菜園は、深さ30cm×幅20cm×長さ60cmくらいのプランターが3つあるだけ。コレが野菜専用プランターです。今その一つで、レギュラーのからし大根の「辛太」くんを来週にタネを蒔くべく、石灰などを混ぜて養生させています。こちらはワタシの担当です。夏になれば、シシトウやミニトマトが参加してきます。ゴーヤくんだけは凄く出来すぎて、来る日も来る日もゴーヤ料理になるので、やめにしてもらっています。野菜だけではなく、オリーブの木もこの頃少しの実をつけるのですが、遊びに来る鳥にほとんどやられてしまいます。

2009年4月20日月曜日

日だまりの筍


筍の旬は、今ごろでしょうか。今年はもう遅いのでしょうか。嵯峨野を散歩していたら、あちこちの竹林で手入れをしているお百姓さんを見かけました。うっそうとしたお寺の竹林などと違って、筍を育てている竹林は、陽があたるように竹が間引かれ、竹の落ち葉がふかふかのベッドのように積もって、寝ころべば気持ち良さそうです。そうした落ち葉のベッドの上に顔を出している筍を数本見つけました。食べるにはもう育ちすぎているようですが、とてもカタチが良く、筍のそばには目印となる若木が挿されていました。なにか儀式に使う選ばれた筍、またはこの竹を大きく育てていこうと選ばれたものかしら。小さいくせにエヘンと威張っている風に見えました。

嵯峨野のお百姓さんの家の前にはときどきコインロッカーのような販売スタンドが有り、100円でキャベツやネギなどいろいろなものを売っています。さすが筍はないだろうと覗いてみると、10cmくらいの小さな筍が3本ほどビニール袋に入れられて売られていました。もう夕方だったので、朝ぼり筍を今買ってもなぁと、やめましたが、皮をむくとどれくらいになるのでしょう。さらに歩いていくと、ゆがいた筍が900円や700円という値がつけられ売られていました。

それにしても、春の景色の移り変わりのはやいこと。つい1週間前まで満開だった桜の木が、もう青々と若葉の衣に着替え始めています。田んぼにも蓮華の花が美しく咲いています。あまりに美しいので近寄ってみたら、右京区民のための蓮華を摘む会というのがあり、その会のために手入れされている畑があちこちにありました。普通の田んぼの蓮華より2倍ほどの高さに成長し、ゆらゆら風に揺れていました。

2009年4月17日金曜日

オキーフのカレンダー 


2009年をいっしょに過ごしているカレンダー。ジョージア・オキーフの花の絵を集めたカレンダーだ。圧倒的な花のパワーと、陰のような微妙なやさしい表情が、独特の色で描かれている。植物画のカレンダーは多いが、オキーフの絵はちょっと違うもののように見える。単純な構図だけど、花は臓器のようにドクドクと動いているようだし、建築スケッチのように数字のデータが隠された冷たさも感じる。夜に一晩だけ咲く月下美人のような妖しさもある。
暗い色調の花の絵にも、明るさがある。パッションをオーラしている。特別、熱帯の花を描いているわけではないが、そう見えてしまう。

ジョージア・オキーフは、1887年に生まれ。1986年に亡くなった。静かな漲る力を描きつづけて、100歳も生きた女性。彼女のポートレイトを見ているだけでも、とても魅力的な人のようだ。ニューメキシコかどこかの砂漠に近いところで、パートナーの男性と長く暮らしていたようだ。とてもおばあさんには見えない凛としたその印象は、彼女自身が砂漠のオアシスのようだ。歳相応の女性の色気が感じられる。沢村貞子さんみたいに。このカレンダーのおかげで、小さな画集もつい買ってしまった。彼女の自叙伝も面白そうだ。

彼女の絵には、夜のニューヨークの高層ビルを描いたシリーズもある。こちらのシリーズも、シンプルな絵ばかりだ。摩天楼が(古い言葉だけだその響きがぴったりくる絵)、闇に棲息する生物のように力強く描かれている。シナトラの歌が聴こえてくるような、夜の空気を感じる。ジョージア・オキーフのニューヨーク。そんな世界が今もあるなら、ニューヨークにも行ってみたい。

2009年4月12日日曜日

もう満開の、お多福桜


この娘、鼻が低いわねぇ~。というのを、「御室の桜」と云うらしい。それほど、御室・仁和寺の桜(花)の木は低い。おめでたく「お多福桜」とも呼ばれる。お花見といっても、桜を見上げて楽しむのではなく、横に手を延ばせば花びらに触れることが出来る。床几を借りて宴会しても、となりの宴会との目隠しに桜が咲いているようなものだ。この景色をちょっと上から見ると、桜の雲海のなかで花見をしているように見える。下から見上げると、桜の雲の向こうに、仁和寺の五重の塔が見えることになる。ぽったり大きな、やわらかい花びらの、独特の桜だ。はじめの話は、鼻が低くても、かわいいわねぇ~、愛嬌あるお嬢さんねぇ~、ということになるのだろう。
わたしゃお多福 御室の桜
    はなが低くても 人が好く

じつは今日、あわててこの御室の花見に行ってきた。いつもより、一週間早い。例年4月20日頃が見ごろなのだが、やっぱり今年はおかしい。昨日も夏日だったし。おそらく今日も。いつもお寺の門の前に、何分咲きとか貼りだしてあるので、それを見て行くことにしているのだが、今年は「つぼみ」から「満開」までが早かった。
お酒も、ちょっとしたおつまみも境内の中で売っているし、持ち込みもOK、ということでよく花見のシーズンにはご厄介になっている。仁和寺そのものが5時閉門なので、夜桜などは見られないが、円山公園や平野神社のように、桜ではなく人ばかり見ていたということにはならない。3時間ほどいたから、顔がヒリヒリするくらい暑かった。

花見の客には外人さんたちも多く、みんなニコニコ平和な笑顔だ。例年はこの御室の桜で京都の花見も終わりとなるのだが、今年はバラバラだ。帰り道ぶらぶらすると、花吹雪も美しい満開の桜並木の中には、まだつぼみのままの桜の木も何本かある。枝垂れ桜でもまだがんばって咲いている木もある。今年は桜を長く楽しめるということか。

2009年4月11日土曜日

お楽しみは、「華麗なる賭け」


「いちばん好きな映画をあげよ」  迷わず、『華麗なる賭け』だ。ノーマン・ジュイソン監督 スティーブ・マックィーン、フェイ・ダナウェイ主演。若い頃は映画の話で、飽きずに酒を飲んでいた。その頃から、ベスト1映画はコレだ。誰から何と言われようとも、バカにされようとも、好きなものは好きなのだから仕方ない。タイトルの緊張感から、最終カットまで、洒落のめしている。ミシェル・ルグランの音楽もいいところでいい感じ。ワーゲンのバギーカーやグライダーも美しい。主演お二人のかけ引き・会話も、ファッションもカッコイイ。好き嫌いだけでは、映画の話は出来ないよと云われそうだが。

しかしこの映画が「私のベスト1」だという人には、会ったことがないな。そらそうだろう。中身はあまりないもん、この映画は。結局、スティーブ・マックィーンとフェイ・ダナウェイのプロモーションフィルムのような映画なのだ。ストーリーがどうのとか、伏線がどうしたとか、そんなの関係ない。カメラのアングルとか、音楽の入れ方とか、編集のスピード感とか、そういうことで2時間近くを見せてしまう。もう10回以上見ても飽きない。ノーマン・ジュイソンもアカデミーを受賞した「夜の大捜査線」とは違ったアプローチの、映画の世界を残したかったのだろう(と、勝手に思う)。映画の重さというものがない映画なのだ、「華麗なる賭け」は。「夜の大捜査線」の次の年に撮った映画だもん。



「シンシナティキッド」も「月の輝く夜に」も好きだなぁ、この監督は。最近は飲むたびに3時間も4時間も映画の話をする、ということがないから、俳優の名も監督の名もどんどん忘れていく。これからも時々、映画の話を書いていこう。書いているだけで楽しくなってくる。昔の映画はとくに楽しい。 この映画は後に、007俳優のピアース・ブロスナンでリ・メークされた。全く面白くなかったが、フェイ・ダナウェイなどオリジナル作品の何人かが出ているのは懐かしかった。
次回上映予定、ドン・シーゲルだ。

2009年4月4日土曜日

らくがき


つい先月、日本の有名なイラストレーターが(ちょっと意地悪そうな女の子の絵が人気)ニューヨークの地下鉄の駅でらくがきをしたとかで逮捕されたと新聞に載っていた。美術館での催しのために渡米していたらしい。ニューヨークの地下鉄というのは、絵を描くアーティストにとって、聖地のような雰囲気があるのだろうか。キース・ヘリングも地下鉄へのらくがきで、一気に有名になったのではなかった??? 地下鉄やバスといった動くギャラリーというのは、とても魅力的な媒体なのだろう。新幹線の車両がらくがきされた事件も記憶に新しい。犯人は世界を股にかけて移動するらくがき集団だとか。スケールが大きいわ。

「もちろん、らくがきはいけない」。犯罪です。でも、それにしても、という話です。実際、私の家は小学生の通学路にあたり、コンクリートに太い赤鉛筆でらくがきをされたことがあります。ゴシゴシ消しゴムで消すのが大変です。消した後から、また書かれたりして腹が立つ。それにしても、というのがこの写真のらくがきです。私はウマイ!と、思うのです。なんてシンプルな、線。ベン・シャーンのよう、といったら言い過ぎでしょうか。でも、好きだなぁ。毎朝、通勤で降りる電車の駅に面した家の壁に描かれているのです。ホッとします。ところが、この絵のまわりに、ただ落書きが好きなヤツが落書きを加えて、汚く汚くしてしまったのです。センスのないヤツが落書きをすると、怒りしか生まれない。ということでしょうか。

最近はらくがき的な絵も、市民権を得てきたようで、商店街のシャッターなどに壁画のように描かれることも多いようです(もちろん頼まれて)。しかし、子どもたちのらくがきが町から減ったと思いませんか。自分の家のらくがきに腹を立てていてなんですが。昔は道で遊んだりしていたから、アスファルトや、ブロック塀にその名残がいろいろ残されていたのに、外で遊ぶ子どもたちもあまり見かけません。らくがき文化は一部のアーティスト系か暴走系のものとなってしまうのでしょうか。