お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2009年5月25日月曜日

文字が書ける、葉書の葉


嵯峨野の広沢池を東へ、山越という地に「印空寺」というお寺があります。この庭に樹齢300年といわれるタラヨウ(多羅葉)の木があります。そのタラヨウの葉はゴムの葉のように堅く、葉の裏に楊枝のようなとんがったもので傷を付けると、その部分が6Bの鉛筆で書いたように黒く変色し、文字が残ります。へぇ〜。そして、お寺の立て札によると、これが葉書のはじまりだとか。へぇ〜。写真のように、観光の人が実験していった葉が落ちていました。面白い葉っぱだと思って、一度会社へ持っていったことがありますが、皆の反応は今一つでした。へぇ〜。


最近は何でもけっこう郵便で送れる、と聞いたことがあります。今この葉っぱに文字を書いて切手を貼れば、郵便屋さんは届けてくれるのでしょうか?知っている人、教えてください。切手がはがれないように、ビニールの袋かなにかに入れないとダメなんでしょうね。

まぁ、こういう小さい発見を楽しむのが、お気楽さんぽのいいところでしょうか。いろんなお寺の庭には、ちょっとした話のネタになるような木や花がひっそりと育てられているのですね。そうした話をコレクションしていくというのも、一つの楽しみになるかもしれません。で、お寺で拾った葉は小さかったのですが、散歩を続けているとこの大きな木が植わってる家の庭がありました。珍しい木と思っていましたが、普通に家の庭の木として植えているのですね。

2009年5月18日月曜日

鰻は嵯峨野の川魚屋さんで

実は、10年ほど前まで「鰻」が食べられませんでした。小学生の頃に旧京都駅の食堂で、鰻重を食べて気分が悪くなって以来、ずっとダメでした。それが15年ほど前から穴子が食べられるようになり、穴子が好きになり、鰻が食べられるようになり、鰻が好きになりました。穴子が好きになったのは、大阪の北新地のお店でお昼に、蒸した穴子を細かく切った巻きずしをいただいてからです。代理店の方におごっていただきました。その巻きずしは、煮た椎茸のみじん切りなどもまぶされていて、ここにしかない味。はて、なんて名前の店だったか、新地のどこだったのか。その方も、とうに退職され、わからなくなってしまいました。

そういえば会社の近くには「竹葉亭」という鰻の老舗がありました。その頃は鰻が食べられず、ひとり幕の内弁当などを食べておりました。鰻が好きになった時には、風格のあったお店はなくなり、マンションが建っていました。「竹葉亭」は今はホテルに出店しているのみなのでしょうか。
昨年、琵琶湖畔に住む友人のOZ君の家に遊びにいったさい、注文しておいてくれた鰻も非常においしくいただきました。その日の朝、琵琶湖でとれた鰻を予約しておくとか。また、お願いします。これからは、せいぜい京都で、鰻のおいしいお店を訪ねたいと思うのですが。鰻のお店は、とびきり高い店もあって、エイ、ヤッという気合いも必要なようです。

で、日々の食卓でいただく鰻となれば、今、このお店です。懐かしい、川魚の専門店。いろいろな川魚を煮たり、焼いたり、佃煮にしたり。ここの鰻が、お手ごろで美味しく、なかなか贅沢な気分にさせてくれます。だし巻きがおいしいのも特筆もの。錦市場まで行って買うこともありません。JRの嵯峨駅前。観光客も、最近有名になったコロッケ屋さんに目を奪われて、ちょっと地味目なお店には気がつかないようです。

2009年5月10日日曜日

思いたって、保津川下り

明智光秀が愛宕山にお参りしたり、本能寺への別動隊を動かしたとき利用したと云われる「明智越」をハイキングすべく、亀岡までJRで行きました。保津峡まで3時間半あまりの予定だったのですが、ルート入口は保津川下りの乗り場。船頭さんは多いのに、観光客の姿があまり見られません。もしやと思って覗いてみると、今日はお客が少ないとのこと。40分ほどで乗船できるらしい。ならばと、急遽、予定変更。山で食べるはずのお弁当を食べていると、20分ほどで乗船のアナウンス。スムースに船が動き出しました。実は、初めてです。前から何回も乗りたいとは思っていたのですが、混んでいるみたいで、平日でないとだめかとあきらめていたのでした。

一つの船に乗客は24人。船の前後に竿を繰る2人と、漕ぎ手1人。10分ほど田んぼの横の流れを進むと、山間が狭くなり、波しぶきの中を進むことになりました。期待過剰か、思っていたよりスリルも波しぶきも少ない川下り。船頭さんによると今日はまだ水が多いので平均よりスリルも上、でも昨日の方が水位が30cmほど高かったからもっとスリルがあったとのこと。修学旅行生は大喜びしていたそうです。
水が増えると流れが速くなり、スリルも増え、乗船時間も短くなるらしい。梅雨時など雨の多い時は、別世界になるらしい(その時行ってみたい!)。乗船時からずっとしゃべり続けの、後ろの席の大阪のおっさん。もっとスピードださなオモロウないわとほざいていたが、急カーブで船から落ちかけてやっと静かになりました。

小鮎の滝や大高瀬、朝日の瀬などいろいろな名前のついた瀬や岩を眺めながら1時間ほどの行程。トロッコ列車やJR嵯峨野線と並行して下っていきます。トロッコ列車に出会ったのは1回。下りのトロッコ列車には手を振らんでいいよと、船頭さんつれない。11時に家を出発して、なんと2時には嵐山に着いてしまいました。料金は1人=3900円。ちょっと高いです。でもまぁ24人乗って、3人の人件費。平日は少ないだろうし、冬はお休み。仕方のない料金なのかもしれません。今日は、いたるところで自生の藤が満開。山の若葉と青空と、藤の紫がキレイな川下りでした。桜も良し、紅葉も良し。それよりも、台風の後とかにもう一度乗ってみたいと思います。「明智越」も再チャレンジです。

2009年5月6日水曜日

ハワイSP●カゲタさんのヒーリングツアー(2)


ノースショアへ行く途中にある、<ワヒアワ バースストーン>へと向かっている。バースストーンとは名前通り、昔、ハワイ王族のお産場所だったそうだ。ここの石の上で生まれた子どもは神からの洗礼を受け、特別なマナを授かるらしい。今でも安産などをお願いする人が訪れる場所という。
パイナップル畑のような、粘土質の赤茶けた大地。雨が降ったら、じゅくじゅくツルツルになるらしい。渋滞から開放された案内人のカゲタさんは、こんどは空の黒い雲を観察しだした。昼飯は後にして、雨が降る前に行きましょうということになった。ストーンサークルを思わせる、不思議な石の配列。今も現役のパワースポットのためか、あちこちの石にレイがかけられている。

その中の一つに、この写真の飾りのようなものが捧げられていた。カゲタさんの説明によると、木の葉や鳥の羽根、髪の毛などを編み込んで作ったもので、古代ハワイアンがつくったレイの原形に近いのだとか。ウ~ム、原始的な強い力が込められているのだろう。残念ながら、他の場所ではこのようなモノは見かけなかった。

この後、ノースショアへ向かい、お決まりのワゴンのガーリックシュリンプでお昼。カゲタさんいわく、「ここがいちばん旨いンです」。食事の後は、海ガメが甲羅干しをしているというラニケアビーチへ。本当にカメさんが寝ていました。カメさんがいて、カゲタさんも満足そう。そうこうしている間に15:00をまわり、いよいよ最後の <ワヒアワ ヒーリングストーンズ>へ。住宅街の中にある。日本のお地蔵さんのように、大理石の祠に祀られている。カゲタさんは、ござを敷いて、その上でお祈りしてくださいとおっしゃる。ちょっと特別な雰囲気。
とにかく、普通の観光ルートではいかない場所をドライブするこの一日がかりのツアーはおすすめ。朝から夕方まで楽しめ、また行きたくなるような内容。カゲタさんその人に、癒される効果も期待できる。

2009年5月4日月曜日

ハワイSP●カゲタさんのヒーリングツアー(1)


カサカサとビニール袋をさげて、カゲタさんが前を歩いていく。カゲタさんは、このツアーの案内人兼ドライバーで、袋の中には人数分の「レイ」が入っている。このツアーは、オアフ島のいくつかのヒーリングスポットを6時間ほどかけて巡っていく。それらのスポットで、いろいろな石などに触り、感じるものがあったらこのレイをかけてくださいといわれた。6人と人数は少ないけれど、気ままな観光客はどこでレイをくださいというかわからないので、ずっとビニール袋を持って案内してくれる。カゲタさんは高校の古文の先生がアロハを着たような人で、とても実直そう。そしてもちろん、ハワイの古代の遺跡に詳しそうだ。

はじめに訪れたのは<パーフア ヘイアウ>。カハラを抜け、ココヘッドの奥の住宅街に入っていく。ヘイアウとは、聖なる寺院の跡とか、祈りの場所のこと。ここは、五穀豊穰を祈っていた場所らしい。なんと日は高く昇っているのに月下美人が咲き乱れていた。ヘイアウには戦いのいけにえを捧げた怨念のこもったものもあるが、このツアーはそれ らを避け、ヒーリング効果のある穏やかなものを巡るらしい。ここの次は、マカプウ岬の下の<マカプウ ヘイアウ>へ。有名なラビットアイランドのすぐ目の前だが、ほとんどの観光客はここにこんなヘイアウがあることを知らない。


この後オアフ島の南を 半周するカタチで、カイルアからパールハーバー方面へ。パールハーバーを見下ろす山の上に、よく本などに紹介されている<ケアイヴァ ヘイアウ>があるのだ。ここで、サークルストーンのような石にレイをかけてあげた。目を閉じて、両手をひろげると、さぁっと風が降りてきた。歓迎されてい るらしい。

ここからは、一気にノースショア方面へと高速道路をドライブ。ハワイの皇族たちゆかりの<ワヒアワ バースストン>へと向かう。カゲタさんはけっこう話好きで、ハワイの電気代が毎月変わることや、シュリンプのうまい屋台の話などしてくれていた。ところが 途中から高速が大渋滞。どこかの出口で事故があったらしい。こちらは、ハワイの渋滞もそれなりに楽しいが、カゲタさんは予定が消化出来るか焦りまくり、 「スミマセン」を連発していた。でもロスタイムは30分ほど。ここで13:00くらいだった。この続きは、また次回に。

2009年5月3日日曜日

●●●  嵯峨野の裏道 #7  千代の古道  ●●●


平安時代の貴族たちが、都から嵯峨野へと遊行した道、と伝えられている「千代の古道」。常盤・鳴滝辺りから音戸山という小さな丘を通って大覚寺をめざした道とも、梅宮大社辺りから大覚寺へ向かう道とも云われています。一つの道の名ということではないのかもしれません。今でも、あちこちにこのような「千代の古道」の道しるべが建てられています。
「嵯峨の山 みゆき絶えにし 芹川の 千代のふる道 跡はありけり」 在原行平 (後撰集和歌集)
など多くの歌人に詠まれた道のようです。
この写真の辺りは、昔はまだ土の道が残っていて、野菊やタンポポといった野の花が似合う道でした。東映の時代劇華やかなりし頃は、撮影所の近くに東映の馬場があって、そこのお馬さんたちがこうした道をポックリポックリ、ウンチしながらお散歩されるのでありました。田んぼからお仕事帰りのウシさんたちもポタリポタリ、家へ汲み取りにいったお百姓さんのリヤカーも通ったりしていて、昔はなかなか匂いの濃い生活をしていたのだなと思います。
千代の古道も多くは、バスの通る道になってしまいました。この写真の近くには、昔の御池通りのケヤキ並木のケヤキたちが、余生をゆっくり過ごしている一画もあって、そこは雑木林のような風格を漂わせています。