街を歩こう。山を歩こう。嵯峨野を歩こう。旅を歩こう。維新を歩こう。映画を歩こう。

月に一・二度はフェアウェイも歩こう。お気楽な日々を、お気楽に記録していこう。

お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2010年12月4日土曜日

工事、工事、工事、 紅葉


今、わが家は20何年ぶりかの住まいの補修中。足場を組んで、防水塗装や外壁塗装の工事中です。コンクリの家は雨漏りがしてくると、どこから水が入ってくるのかわからず、けっこう大変な工事になっています。
建物のまわりは足場だらけ、つまり工事の人だらけ。つねに窓には誰かの影がよぎり、中を覗かれている感覚。壁からはコンコン音がし、屋上からはガッガッと音と振動が響いてきます。

なにか胎内に居て、外の様子を、音や声からうかがっている赤ちゃんのような感じです。それでもワタシは会社へ出かけるのでエスケープ出来ていますが、家の者や年寄りは外に出ることもままならず。一日中騒音につつまれて、げっそりしているようです。あと、10日ほどの辛抱でしょうか。そんなわけで、秋の紅葉シーズンといっても、市内の近場でたのしんでいます。

近場のおすすめは、京都の府立植物園です。京都だからみんなお寺にお出かけですが、ここはなかなかの穴場。植物園だから、当然、いろんな樹木の紅葉がたのしめます。しかも樹が大きいものが多い。なかなかの迫力です。池のまわりには「紅葉銀座」や「裏紅葉銀座」と命名されたゾーンまでありました。
アマチュアカメラマンが多いのはげんなりですが、今年は外人の人を多く見かけました。きっと京都の紅葉を楽しむオプションツアーの中に「植物園コース」でもあるのでしょう。外国へ旅行したときに、その土地の植物園を訪ねるのはたのしいですもんね。

2010年11月13日土曜日

今日のお昼は、「わびすけ」で

昨日は朝から、京都で仕事。打ち合せを終え、昼ごはんは近くの「わびすけ」へ。同志社の烏丸通り道向かいに昔からある、喫茶店&レストラン。大学生の頃は2階席から、キャンパスに出入りする人たちを見ながらくつろげたが、今は1階席のみみたいだ。

明治からつづくというこのお店の名物は「いもねぎ」。半熟の玉子でとじられたゴロゴロのじゃがいとタマネギの上に、ミンチが散らしてある。わかりやすくいえば、オムレツをひらいた料理。じゃがいもが、かりかりごろごろで、ボリュームも満点。お値段は900円。ご飯。おみおつけ、漬物付き。ちょっと高めだから、学生たちには入りにくい。とくに昔はそうだった。

お店の店内は、民芸風。分厚いテーブルも、シックな椅子も昔のまま。フロアの真ん中には大きな水がめが置いてあって、大きな金魚が泳いでいる。学生たちもいるが、同志社のOB・OGという感じの高齢者や、仕事で同志社に来ましたという人が多い感じ。観光客も多いかも。

満腹になったあとは、御所をぶらぶら横切って、次の打ち合せ場所へ。先生に怒られているらしい修学旅行生を見ながら、黄色く色づいてきた銀杏の下を歩く。
ビルの中で仕事している時間が多いが、こうしたアクセントのような時間は精神的にもごちそうさま。ちょっとトクした感じの週末ではあった。

※「いもねぎ」の写真を撮るのをすっかり忘れてごちそうさま。コーヒタイムの写真ですみません。

2010年11月7日日曜日

「信長の野望」で、Macと遊んだ

ワープロが、パソコンにとって代わって、かれこれ15年ほどになるでしょうか。我が家も、まだ使えるワープロからパソコンに買い換えることになりました。仕事上、使っているのはMac(アップル)ですが。で、このMacを覚えるために集中したのがゲームであり、後にインターネットをお勉強したのはポルノ・サーフィンでありました。

Macのための数少ないゲーム(PC向けはゲームも多いのですが、Mac向けは少ない、今も)で、熱中したのが、戦国時代国盗りゲームの「信長の野望」や都市開発ゲームの「シムシティ」です。当時は、ずっと寝不足でした。


高いMac買って、こんなゲームに夢中になっていたのだからあきれますが、あれで、デジタル食わず嫌いは克服できたのかもしれません。しかし、あの頃のアプリケーションはフロッピーデスクからインストールするもので、ゲームも5~6枚のフロッピーを入れたり出したりしていました。

当然CPUの性能も低く、驚くほどのろまなゲームではありました。が、ゲームは基本的にシンプルな方が面白いわけです。最近の「信長の野望」はプレイステーションで買いましたが、もう一つ。アニメはキレイでゴージャス、さくさく動く。でもゲームが複雑になりすぎて、なかなか前に進めません。ゲームおたくでもないワタシは、時間がかかるというだけで飽きてしまいます。(「ぷよぷよ」なんて飽きないモン)


最近はとんとご無沙汰のゲームも、歳をとったらまた、のめり込むかもしれません。古いゲームを引っ張り出してきて楽しみましょうか。友だちには、老後のために、せっせとプラモデルを買いだめしているのがいてます。大丈夫かいナ。

ところで最近は、iPhoneでゲームしてます。シンプルで、ささっとできる、なかなか面白いゲームがそろっています。雀百まで踊り忘れず。違うか。まだ、iPadを買おうという気にはなりませんが、Mac Book Air は気になる今日この頃です。


(※写真はプレステ用のパッケージですが、もうゲームが高度になりすぎてあまり面白くありません)


2010年10月24日日曜日

チャールズリバー沿いに歩こう

「世界ふれあい街歩き」という45分のNHKの番組があります。街をぶらぶらと歩くだけの番組ですが、なかなか面白い。この前は、録画しておいた「ボストン」編をじっくり見ました。ロバート B パーカーの「スペンサーのボストン」のという本の地図と照らし合わせながら、TVのなかでお散歩しました。


スペンサー・シリーズは、探偵スペンサーがボストンを舞台に活躍する小説で、昔懐かしいハードボイルドの世界が楽しめるシリーズ。もう37巻くらい出版されているみたいだ。全部のシリーズを読むほどのファンでもないが、軽いハードボイルドな空気は、帰りの通勤電車には心地いい。


ボストンという街は、アメリカの古い都市であるだけでなく、海や川があり、空が大きい。そして、坂道も多い。散歩するにも、ハードボイルドな舞台としてもちょうどいいみたいだ。行ってみたいなぁ。

このシリーズ、少しずつ長く楽しみたいと思っていたが、作者のロバート B パーカーさんが今年1月に77歳で亡くなられた。合掌。


タフでありながら、女性に優しい。スペンサーの殺し技の一つが、手料理だ。スーザン・シルヴァマンというガールフレンドを、いろんなシチュエーションでもてなす料理の話が出てくる。その料理のレシピをまとめたのが「スペンサーの料理」だ。なかなか料理を作ってみようという気にならないワタシには、こういう本はありがたい。この秋はこの中から、ミントソースの「ラム・カツレツ」にでも挑戦してみよう。


2010年10月3日日曜日

正しい秋がやってきた

最近、案山子が復活してきたみたいですね。いろんな場所の田んぼで、いろんな案山子を見かけます。マネキンを使用した、かなりシュールな作品も人気みたい。この写真は、広沢の池の近くの田んぼです。なにかコンテストをしているらしく、ずらっと横並び。下にはネームプレートのようなものも見かけます。

レレレのおじさんがいたりカールおじさんがいたり、20体ほど並んでいました。端っこの方には、トラッキーもいました。なかには首と胴が離れていて、かなりホラーなものもあります…。

深く頭を垂れてきた黄色い稲穂と、案山子たち。なかなか正しい秋の風景を見るようで、楽しい気分になってきます。


この辺りの田んぼは、地域の人に愛される田んぼをめざしているようで、春には空いた田んぼで蓮華を育てていました。高さ30cm以上もある蓮華が風にゆらゆら揺れていて、「でっかぁ」とびっくりしました。立て看板によると、幼稚園児がもうすぐ蓮華摘みに来るので、採らないで下さいと書いてありました。


こうした四季折々の田園風景を残していくことで、嵯峨野の価値が高まっていくのでしょうか。落柿舎のあたりでも、観光客のための遊歩道が取っ払われて、もとの田んぼに戻されていました。結構毛だらけです。

ワタシは、人力車にも反対です。特に嵯峨野では狭い道が狭くなるだけでなく、時代のイメージがむちゃくちゃになってしまうからです。お年寄りにはうれしいサービスかもしれませんが、渡月橋あたりだけにしておいてほしいものです。


2010年9月26日日曜日

篠山へ。黒豆のシーズン到来。

丹波篠山へドライブしてきた。亀岡から篠山へ。篠山から園田、日吉ダムを通って高雄の方から帰ってくる道が好きだ。ようやく涼しくなったことで、お出かけしている人も多いようだ。とくにバイクが多い。排気量の大きなバイクのツーリンググループが目についた。一人でツーリングしている人も含めて、みんなそれなりに行儀がいい。我が物顔の悪質なバイカーは最近あまり見かけない。一人バカがいたが。

黒豆はまだ早いかなとおもったが、売っていた。まだ少し小さいみたいだが、早生の黒豆はおいしいらしい。今夜は早速こいつとビールだ。いつもの交差点横の八百屋さん?で買った。お昼に食べた、「牛とろ丼」もうまかった。観光のレストランやお店はどこも混んでいたが、「潯陽楼」という旅館の2階の食堂は空いていた。
牡丹鍋で有名な料理旅館らしい。創業明治40年。司馬遼太郎や水上勉も宿泊したという。「牛とろ丼」は量もたっぷり。安くて、満足、満腹。食堂にはいろんな能面や能の絵が飾られていて、オーナーさんが能が好きなのかと思っていた。

帰り道、駐車場へ向かうときに、町中の春日神社に立ち寄った。かなり古い神社らしい。大きな能舞台が境内にある。第13代篠山藩主 青山忠良は能楽愛好者として知られ、文久元年(1861)に春日神社へ奉納したとか。建築的にも全国の能舞台中屈指のものと説明されており、国指定の重要文化財になっている。篠山は、丹波牛や黒豆だけでなく、「能」の世界でもちょっと有名らしい。犬も歩けば、いろんな発見があるものだ。

2010年9月23日木曜日

朝早い嵐山をぷらぷら

お久しぶりです。夏バテで、ブログさぼってました。体調は大丈夫ですが、気分的にサボってました。それにしても暑かったわ。9月に入っても猛暑日が続くくらいだから。動けば汗が出てくるわけで、お散歩も、夕方も無理無理。で、土日のどちらかは、朝6:30頃に起きて、7:00くらいから散歩に行ってました。なんぼでも寝られるワタシには、ひじょうに珍しい行動パターンです。


この前の休みは、嵐山に早朝散歩に行ってきました。ワタシには早朝なのです。ひょいと嵐電に飛び乗り、帰りにぶらぶら1時間半ほど歩くコース。朝早い、観光客のいない嵐山がこんなに気持ちいいとは新発見でした。朝の風は清々しく川面を渡り、斜めからの朝の光に川面はキラキラとしています。観光客の熱気も埃もなく、犬たちも自分のテリトリーをゆっくり歩いています。


川舟遊びのボートの上では、白鷺がのんびり川面を見つめています。白鷺は船遊びが好きなようです。このあと、広沢の池の方にまわった時も、白鷺が屋形船の屋根にいました。そういえば、ちょっと前、高台寺の枝振りのいい松のてっぺんで、辺りを睥睨しているような白鷺を思い出しました。日本画を見ているようないいシーンでした。


この日は夕方から鴨川へお出かけ。恒例の維新探検隊の川床宴会でした。武市半平太が上洛した際に泊まっていた「丹虎」という料亭跡で、今は「金茶寮」という料亭。武市の泊まっていた部屋の、南天の床柱にもみじの板を張った床の間は、そのまま残されていました。朝は大堰川、夕は鴨川。体内に残る夏の暑気が、川風に冷まされていくようです。


2010年8月29日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #11 仁和寺の裏 ●●


御室桜で有名な仁和寺の裏に、瓦を重ねた土塀の美しい道がある。春には聾学校の桜並木からの花びらが、降りそそぎ、道も真っ白に。そして夏は、熱い陽ざしを避け、がんがんに冷房を効かせた車で仮眠する、タクシーの運転手さん達の隠れ道だ。この道を西へ進めば、御室八十八ケ所めぐりへもすぐ。道を後ろに戻れば、しょうざん方面へ抜ける峠道へつながる。

金閣寺や竜安寺から、きぬかけの径(一条通り)をぶらぶらと歩いてくる観光客も多いが、さすがこの横道に入っていこうと思う人はいないようだ。御室のこのあたりは大きな家が多く、生け垣なども手入れされており、さんぽしていても気持ちがいい。ときどき、京都が舞台のサスペンスドラマなどで使われることもある。



2010年8月23日月曜日

昔地図を描くべきだと思った

少しずつ、失っていく。思い出の場所が無くなっていくのは致し方ないとしても、記憶まで。幼稚園まで通ったあぜ道も。台風の時、氾濫したドブ川も。雪ゾリで遊んだ坂道も(昔はそれくらい雪が積もったのに)。自転車を覚えた校庭も。いやいや、場所だけじゃない。お花見をした近所の人たちのことも、引っ越していった友だちのことも、顔とか名前の記憶も薄れていく。


これは、いかん。初めての体験ばかりだったあの時代は、笑顔の記憶に満ちている。素敵で懐かしい、あの時間を引き留めておくためにも、昔の家のまわりの地図を描いておこう。記憶が薄れていくものなら、その前に記録しておこう。

と思って、まだやっていない。今ならまだ、家の垣根の佇まいや、町内の道や、家々の隙間に、古い町の面影が残っている。その頃の時代の匂いも思いだせそうなのに。


早く手を付けないと、と思いながら、老後のお楽しみにとっておこうとも思っている。まぁ後でゆっくり出来るだろうと。でもきっとこういうことは、どんどん忘れていくディティールの部分こそが面白いのだろう。懐古趣味と笑われても、楽しい思い出に浸れるなら、宝物のような時間は大切にしていこう。

ところで、Google Earthでも、今の写真ではなく、古い写真の世界をトリップ出来るサービスがあるみたいだ。どういうサービスに成長していくのだろう。年齢を重ねるほど、土地土地への思い出や記憶のレイヤーも重ねられていく。若い人たちより二倍も三倍も楽しめるサービスになるのかも知れない。


2010年8月16日月曜日

ピニャコラーダを、もう一杯

今日は、「ピニャコラーダ」をつくってみました。ホワイトラムとココナッツミルクをミックスしたロングカクテルです。くせのあるココナッツの甘さが嫌いだという人も、甘いカクテルは苦手だという人も多いかもしれません。が、カァ~ッと暑い夏の午後にはこの甘さが懐かしい感じです。

ウィキペディアによると、プエルトリコのバーで生まれたカクテル。きっと、ハバナやマイアミあたりのパーティで流行したのでしょう。海流の島々で、夕焼けを眺めながらいただけば最高なのに。


いざつくってみようと思っても、ココナッツミルクがなかなか見つかりません。

最近は家でカクテルをつくる人など少ないせいか、売れ筋以外のお酒関係はあまり店には置いてないのです。ところが、サントリーから「cocomo」というラムをベースにしたココナッツリキュールがありました。これで簡単に「ピニャコラーダ」がつくれました。


パイナップル好きのワタシとしては、飾りだけではもの足りず、細かく切った果肉をいっしょに混ぜてみました。そして、ホワイトラムを足して、少し強めに。出来上がりは、なかなか。バーで飲むより濃いめの味わいがあります。

家では、こうした大きめのグラスで、たっぷり時間をかけてのめるロングカクテルをより多くマスターするほうが楽しめるみたいです。

2010年8月15日日曜日

ギムレットを、もう一杯


昔、ハードボイルドを読んでいた頃 = おしゃれな映画が多かった頃、カクテルに凝った時がありました。ホテルのバーや、街の古いバーなどにも足を運んでいました。そして夏には、自分でシェーカーでシェイクし、カクテルをつくったりもしていました。その頃買った、バー「ラジオ」のカクテルレシピ本は今でも宝物です。

この盆休み、このカクテルをちょっとつくってみようと思いました。はじめの一杯は、もちろんギムレットです。


これは多分、父親の影響なのでしょう。わが家に古くからあるサイドボードには、幾つかのカクテルグラスとシェーカーが残されていました。洋酒のミニチュア瓶を集めるのが数少ない趣味の一つだった父親の、名残です。この前、しお爺さんにサントリーの「洋酒天国」をまとめた本をいただきましたが、ウィスキー文化(洋酒文化)が宣伝されていたその頃は、どこの家庭にもこうしたカクテルセットがあったのかもしれません。

(最近はこのミニチュア洋酒がめっきり少なくなってきましたね。ちょっとカクテルをつくりたい時に困ります。)


ということで、久しぶりのギムレットです。気分は、フィリップ・マロー。すぐにシャキッとしたグラスが見つからなかったので、写真のようなまったりとしたギムレットですが、味はなかなか。ライムジュースを使わず、生ライムを搾ってつくりました。ちょっと強め、そしてかなり辛めのギムレットです。

明日も、グラスをキンキンに冷やして、優雅な時間をシェイクします、ベイビー。


2010年8月8日日曜日

炎天下ゴルフはほどほどに

昨日は、丹波・須知のグランベールへゴルフに。炎天下ゴルフにびびりながら、飲み水も冷却スプレーもしっかり準備して行ってきました。お盆が始まっているのか、日本海への海水浴へいく人たちか、高速のバイパス道に乗るまでの道が混んでいます。いつもなら10分ほどの道が30分ほどの渋滞に。でもバイパスが無料になった喜びは大きく、往復2000円ほどが浮きました。


さすがゴルフ場もガラガラ。今の時期ゴルフする人は、よっぽど好きな人みたいです。けっこう風があり、雲も多かったので、思ったよりは過ごしやすかったですが、午後になると身体の中に暑さがたまり、スコアはどうでもいい感じに。そんな頃、ショートホールのコースの中に鹿たちが4匹、遊びに来ていました。慣れているのでしょう。写真を撮ろうと近寄っても、逃げません。この後一匹は、ティグランドの方まで遊びに行ってました。


今日は亀岡の花火もあるらしいということで、道が混まないうちにさっさと帰ろう!いつもの丹波牛の「いずつ屋」(やすくて。おいしい)で、一口カツを300gほどと中国産のマツタケ780円パックを買って、帰りました。帰りはすいすい。

これからの盆休み、炎天下にお出かけになる人に。冷却スプレー必携です。うなじや脇の下にシュッとスプレーすると、うぅ~と身体が震えるほど気持ちいいです。

中日ドームに乗り込んだタイガースは、今日もぼろぼろにやられています。

2010年8月1日日曜日

横尾ワールドの毒にピリピリ

中之島の国立国際美術館で、横尾忠則の全ポスター展を見てきた。すべてのポスターが展示されるのは、国内では初めてらしい。「天井桟敷」時代や、健さんの時代、インドの時代や、神の生まれ変わりの時代などなど、ほぼ同時代に生きてきた人のポスター展だから面白い。

一枚のポスターから濃厚に漂う、その時代の空気に、こちらの感性が反応してしまう。ポスターが窓となり、その奥から、当時の風や歌や雑音が響いてくる。


七割ほどは、知っている作品だが、これだけ集められて見せられると凄い。こんな量を残せるのは横尾しかいない。寝ない日が何ヶ月も続いていたに違いない。ポスターは、質より、量に価値がある。横尾忠則はやっぱり、時々狂っていたのだと思う。


きっと、今の学生達や、外国の人たちは、優れたアート作品としての鑑賞の時間を過ごすのだろう。けれど私たちは違う。同じ時代を過ごしてきた私たちには、二重にも三重にもオーバーラップする楽しみがそこにある。

マンガ雑誌のおまけのような時間。このポスター展は、横尾忠則からの素敵なプレゼントだ。


ところで、ポスターなどもデジタル・サイネージの時代。動画中心の映像ポスターでは、こうした1枚のグラフィックとの間に結ばれた個人的な関係は育つはずもない。ポスターが楽しめないなんて、カワイソウ。私たちは、いちばん楽しい時代を過ごしてきたのだ。と、言ってしまおう。


同時併載している「束芋」展も面白い。朝日新聞の連載小説「悪人」の挿絵でおなじみになった、束芋ワールド。彼女の世界が70年代の空気に似ていると感じるのは、横尾ワールドに毒されたからか。


阪神タイガースは8:7で中日に勝ち越し、いざ長期ロードへ。次は巨人戦だ。

2010年7月25日日曜日

今日も祭りだ、祇園祭だ

今日は、祇園祭の後の祭り。お昼間の町中では、花町の芸舞妓さんたちも参加する花笠巡行が行われたようです。そんな祭りがあるとは知らず、夕方から鉾町のそばの友達の家に「およばれ」にあずかりました。毎年、宵山か宵々山の日に集まるのですが、今年は後の祭りの日になりました。

それというのも、還幸祭という3基のお神輿が八坂神社へと戻る行列が、彼の家の前を通るからです。中御座、東御座、西御座の順で、今日の町中を練り歩き、八坂を目指します。私たちが見たのが夜の8時半ごろ。八坂神社の階段下で気勢をあげるのは深夜12時頃になるとか。


ところで、先頭の中御座の神輿の前には、馬に乗ったお稚児さんが進んでいきます。


近くにいた祭りの役員の話によれば、このお稚児さんの格式はとても高いとか。長刀鉾のお稚児さんがニュースでは有名だが、山鉾巡行はあくまでも町衆の祭りで、こちらは八坂神社のお祭り。宮中に下足のまま上がっていけるのは、このお稚児さんだけだそうです。向こうは2000万出したらなれるかもしれないけれど、こちらはいくらお金を積んでもなれへんのや、って言うてはりました。


この辺の子どもたちはみな、路上で花火などをして祭り気分を最大に楽しんでいるようです。

今では17日の山鉾巡行が有名ですが、昔は17日と24日に分けられていたとか。それが17日にまとめられ巡行するようになったのはついこの前の1966年からだそうです。巡行の日が2日あったなど、まったく覚えていません。

そのため、この近所の子どもたちはみな、今晩も祇園祭の夜という感じなのでしょう。祇園祭の行事はまだまだ7月いっぱい続けられるそうです。


2010年7月18日日曜日

青空、入道雲、コンチキチン


夏が来たぁ!という感じの青空の下に、山鉾巡行を見に行った。今年は宵山に行かれなかったので、巡行だけでもちょっと見ようと思った。ここで見ようと思った場所は、御池通新町の角。そこに先頭の長刀鉾いたからだ。この角で、辻回しがおこなわれて、各鉾はそれぞれの町内へと帰っていく。


さすが土曜日の巡行とあって、もう人出は最高。はやくも暑さにやられたお年寄りのために、救急車のサイレンが響いている。そうこうしているうちに、長刀鉾の辻回しが始まった。キレイに3度で、直角に方向転換。新町通へと入っていった。

四条通りや御池通りを優雅にパレードする姿より、電柱や古い軒先をぎりぎりかすめて巨大な鉾が曳かれていく姿こそ、昔の町衆の祭りという面影がある。最近はこうしたポイントを知っている観光客が多く、細い道は早い時間から人でいっぱいだ。


長刀鉾のあと、油天神・霰天神の山車に続き函谷鉾がやって来た。函谷鉾の辻回しは残念ながら、長刀鉾のようにはキレイに息が合っていなかった。これを見て、新町から河原町へとやって来る鉾を見ながら歩いていった。

ちなみに上の写真は王朝絵巻から出てきたような優雅な「菊水鉾」と「船鉾」。鉾の姿だけでなく、装飾の違い、浴衣の違い、お囃子の違いなど、祇園祭は楽しめる要素がいろいろある。

ご贔屓さんといっしょに祭りを楽しむ舞妓さんも多く見かけた。


2010年7月11日日曜日

龍馬の隠れスポットへ

先週は、久々の維新探検隊。本降りになってくる雨のなかを、前に探索した二条城の、その周辺を散策する。まずは、六角獄舎跡へ。安政の大獄以後、多くの志士が収容され、禁門の変の時に30数名が処刑されたとある。そのあとに、マンションが建つ。
ボクちょっと、ここには住めないですわ。その石碑のすぐ横には、「日本近代医学  発祥の地」の碑が。医師・山脇東洋により、いわゆる解剖というモノが初めて行われた場所らしい。

このマンションのすぐ側にある「武信稲荷神社」へ。龍馬とお龍さんがデートの待ち合わせをした神社。なんでも獄舎に捕らえられているお龍のお父さんの様子を見るためだったとか。

なんてマニアックな探索ポイント。住宅地の中にぽっかりと、緑のポケット、いい感じ。境内に立つ榎(えのき)の木にはかつて、「龍」の落書きがあったとか。龍馬が木に彫り付け、お龍さんに無事を知らせたらしい。それにしても、新撰組の壬生の屯所がすぐ近くだというのに、なんと大胆なお二人。

ここまでは5人で探索。遅刻した隊士との待ち合わせでJR二条駅へ。途中、御池通の小浜藩邸跡には古美術店が。そのショーウィンドウには、芹沢鴨のものと伝えられる刀が鎮座しておりました。
かの隊士と合流後、千本の「出世稲荷」へ。ここ神社には、新門辰五郎寄進の祠の狛犬や、マキノ省三監督寄進の鳥居などがありました。ここから、所司代跡などを訪ねながら、街へと向かう。柳の馬場三条近くには、お龍さんのお父さん(楢崎将作)の邸宅跡が。さすが「龍馬伝」ブーム。ここにも真新しい石碑が建てられていました。

今日はもうこれで、飲みに行こう。ということで、新京極・スタンドへ。いろんな肴があって安くて、気安く過ごせる、大衆酒場。いや、食堂。早い時間から呑めるということで、最近ちょくちょく利用してます。すんなりこれで終わるはずもなく、隊士3人ほどは、雨にけぶる祇園方面へと消えていったのでした。

2010年6月20日日曜日

エロイムエッサイム

最近は朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」を見て出勤という日が多い。それにしても水木家は、相変わらず貧乏だ。テレビでアニメの「鉄腕アトム」の放映が始まっているという時代なのに、貸本用の漫画を書いているからだ。
小学生の頃はまだ、貧乏な家も多かった。一緒に遊んでいた友だちの中にも、給食費が払えない家もあった。TVのように貧乏神が、普通にとなりにいてる時代ではあった。

小さい頃は貸本屋へも行っていたが、松坂慶子さんのようなキレイなおばさんはいなかった。隣り駅の大映通り商店街に一軒あった。母からはキタナイからやめろと言われていたが、貸本屋自体が面白くて、しばらく通った。

猿飛佐助とか、怪人20面相とか、そんなのを読んでいたのだろう。
でも読みたいマンガは貸本屋にはなかったように思う。多分、こちらが子どもすぎていたのだろう。マンガは月刊誌の時代で、読みたいマンガは友だち4人くらいと回し読みをしていた。ボクの担当は「少年」だった。あとは「少年クラブ」「まんが王」 まだなんかあったような気がする?

でも単行本の漫画も、本屋ではまだ売っていた。赤いダイヤ模様の、ハードカバーの漫画本だったような気がする。正月のお年玉で、そんな漫画を買うのは楽しみだった。小学校の1年の時に1ヶ月ほど入院したことがあるが、その時は「一丁目一番地」という漫画を読み、その漫画のラジオドラマをベッドの上で聞いていた。

チューブに入ったチョコレートを食べ過ぎて、鼻血を出しながら、マンガを読む。そんな小学校時代を、連ドラを見ながら思い出す。 
エロイムエッサイム

2010年6月13日日曜日

植物の不思議と遭遇

休みの昼間。いつものように、ボケーッと寝ころんでテレビを見ていたら、パンッ!!とモノが落ちる音がして、何かが飛んできた。正体がわからなかったので、またテレビを見ていると、また15分後にパンッ!!と音がして何かが飛んできた。ソファに飛んできたモノを見ると、「あの種」がはじけて、飛んできたのだ。

「あの種」は昨年の秋、どこかで、3つ拾ってきて本棚の上に置いておいた。そのうちの二つがさっきはじけたのだ。もう一つもはじけるのだろうか? すると、30分後にまたはじけて飛んできたではないか。

植物って、不思議だ。こうしてはじけて、少しでも遠くへ種を飛ばし、仲間達を増やしていくのだ。しかも時限爆弾が働いているように、同じ日の同じ時刻に、爆発して種を飛ばす。その精密さにびっくり。

で、はじけて飛んできた種を、大根のプランターに蒔いておいたら、芽が出てきた。藤の芽だった。そうそう。美加の原のゴルフ場の藤棚で拾った種を、ゴルフバッグに入れておいたのだ。藤の木は、ミニ盆栽にして育てる人も多いらしい。とりあえず植木鉢に移して様子を見ることにした。

藤は、ぐんぐん大きくなるようだ。今NHKでやっている「てくてく熊野古道」で、どこかの家の藤の木が紹介されていた。25年ほど前に植えた藤がどんどん大きくなり、今では町内みんなでないと管理できない、名物の大木に成長していた。そんなに急に成長されても困るけど。

みんなも藤の下で、こんな種を見つけたら、拾っておこう。忘れた頃に、突然はじけてビックリさせてくれる。植物の不思議を教えてくれる。

2010年6月5日土曜日

ポンポン山へ、木漏れ日の道

舞台の花道の幅より細い小径がつづく。木漏れ日が美しい縞模様を描き、ときどき風がさぁ~ッと吹き抜けていく。木立の向こうに青い空が見え、前を歩く人たちの声が響いてくる。
尾根道を歩くのは本当に気持ちがいい。こうした明るい景色が続くコースだからこそ、このポンポン山への山歩きは人気があるのかもしれない。

この前の土曜日は、「てくてくハイキング」。六甲山以来のお久しぶりの面々との山歩きだ。目指すは、ポンポン山。京都と大阪の府境あたりにある山で、京都のハイカーにとっても人気の山。小学生の頃から登っているという人も多いはず。ただ、標高679mと、ちょっと高い。コースもいろいろあって、初心者からベテランまでそれなりに楽しめる山みたいだ。

私たちは、7人というちょうどいい感じのグループで、JR高槻駅に集合。バスで摂津峡方面へ。役行者ゆかりの「神峰山寺(かぶさんじ)」から、「本山寺(ほんざんじ)」を通り、ポンポン山の頂上へ。愛宕さんのように途中までは参道をハイキングしていくコース。
登り坂は穏やかだけど、距離は長い。「本山寺」からポンポン山へは、気持ちいい尾根道が続く。

そして、山の頂上。京都方面、枚方・奈良方面は180度の絶景。天気がいいだけでなく、空気が澄んでいて、かなり遠くまで見晴らせる。遠くは近江富士まで見渡せた。ここでお弁当。山の名の由来、ポンポンと地団駄踏んでみましたが、ポンポンと音は響きませんでした。残念。
帰りは、京都の善峰寺をめざして降りていくコース。登りはなく、一気に下っていく感じ。あっという間に善峰寺に到着。ここで一服したあとは、JR東向日町へ。おきまりの打ち上げへと、心ははやります。

2010年5月22日土曜日

ゴミ捨てんな、海に流れるから

ワイキキの通りを下を見て歩いていると、この「ウナギイヌ」のような魚がところどころに出没し、おまえゴミ捨てるなよ!と注意してくれます。太ったヤツやちょいヤセ気味のヤツなど、いろいろいましたが、みんなこうした流し目で語りかけてきます。
ワイキキは山側から海側へとなだらかに坂になっているから、ひどい雨が降ると一気にゴミが海に流されてしまうのです。人のゴミで、海の生物を泣かせるなというメッセージです。

ハワイでは「生き物たちを守る」という考え方が徹しているようです。釣り人には釣り糸や釣り針の徹底管理を、旅行者にも鳥に餌をやるな!など、いたるところに看板が出ていました。

人間の横暴な行為で弱い動物たちが傷つかないよう、手厚く保護していこうという考えが、日本などよりうんと具体的に実行されています。
ハナウマ湾などでは、珊瑚を守るということもあり、水性の日焼け止めオイルはダメとか、サンゴ礁の上に足を降ろすなとか、15分ほどのビデオを見てからでないとビーチへは入れませんでした。

ただ、家のゴミとなると話は別みたいです。オアフ島では、燃やすより埋め立てるゴミの方が圧倒的に多いとか。ゴミの分別とかなると、まだまだ全然ダメだそうで、数年前から一部の町でやっと始まったそうです。でもきちんと分別する人は少なく、「どうなることやら」状態とか。その辺はハワイで暮らしている日本の人の方が慣れているし、意識も高いようで、ゴミ分別の活動をしている日本人ボランティアも多いそうです。

それにしても、あちこち工事の多かったワイキキですが、この「ウナギイヌ」の効果かどうか、ゴミで汚いという場所はありませんでした。

2010年5月16日日曜日

いずれ あやめか かきつばた

昨日の夕方、クルマのラジオから、葵祭のための交通規制のニュース。ああ、葵祭だったのか。すっかり忘れていました。藤の花で飾った牛車が、御所から下鴨神社、上賀茂神社へと進みます。このお祭りに参加している人はみんな、ふたば葵の瑞々しい緑を飾りにしています。ふたば葵は上賀茂神社のシンボルのようなもので、いろんなところにデザインされています。

あちこちに自生していたはずの、このふたば葵が最近少なくなってきたそうです。近くの小学校では、みんなで育てているとか。植物園で見かけたときには、小さな花を咲かせていました。葉っぱの裏で、実のような、花を咲かせています。上賀茂神社のふたば葵にも、この花が描かれています。

ところで先週、この上賀茂神社の摂社である、大田神社の「かきつばた」を見に出かけました。一千年前も、この辺りの沼沢地で咲きみだれていたらしい。
ここの自生のかきつばた群落は国の天然記念物に指定されているそうです。
昨年6月、シネマ探検隊で訪れたときは残念ながらもう終わっていました。シネ探の皆さん、大田神社のかきつばたは、こんな感じですよ。

神山や 大田の沢のかきつばた 
ふかきたのみは 色に見ゆらむ
           (藤原俊成)

この辺りの水は、わき水が多くきれいです。上賀茂神社の社家の間を流れる小川では、子ども達が水に足をつけたりして遊んでいました。あ~ぁ、もうすぐ夏が来る、という感じです。

2010年5月8日土曜日

カタクリ探して、赤坂山ハイク

GWの初日1日は、湖西・マキノ高原の赤坂山へ、ハイキングへ行ってきました。昨年、伊吹山へクルマで上がったときに、向かいの湖西の山から眺める伊吹もいいよという話がきっかけです。カタクリの花が咲く、GWの頃にという予定通りのハイキングです。

家を7時に出て、友だちと合流し9時半にマキノ高原へ。「冬ソナ」でちょっと有名になったメタセコイヤの並木道を通ると、高原の駐車場はすぐ近く。クルマを止め、即、アタックです。入り口は設備の整ったオートキャンプ場で、場所決め抽選のキャンパーがいっぱい。さすがGW。登山入口にも老若男女のハイカーがちらほら。春の花が楽しめる人気の山歩きコースとか。

ハイキングのコースは、マキノ高原(スキー場)から、武奈ノ木平を通って粟柄越え、赤坂山の山頂へ。標高823.8m。ここでお昼。その後、寒風まで歩き、そこから下山するルート。写真の右の山が赤坂山、左の方が寒風方面です。
雑木林の中を登るコースは、明るくて気持ちよし。途中まではせせらぎの音を聞きながら、快適。見晴らしも良く、マキの高原の別荘地やキラキラ光る田んぼ、琵琶湖の湖面が眼下に遠くなっていきます。

ルートのあちこちに春の花。オオイワカガミは、あと2週間すれば満開という感じ。スミレとカタクリの花は、いっぱい咲いていました。こういうコースを歩くと、山の花の名もすこし覚えるようです。
でも、しんどかったワ。山歩きで23,000歩。標識では12~3km歩いたことになります。GWが終わっても足の筋が痛い感じ。このコースを高校の山岳部の面々は20kmの荷物を担いで、トレーニングに励んでおりました。

次、来るときは、最近使ってないテントを引っ張り出してキャンプもしてみたいなぁ。これくらいの斜面ならスキーもまだ出来るかも。遊ぶアイデアはいろいろ出てくるのでありました。

2010年5月5日水曜日

「のらくろ」の正統トルコライス 


学生時代にトルコライスなる食べ物を知って、ひそかに大好物リストに書き込んでおきました。なぜ、「ひそかに」かと云うと誰も知らなかったからです。メニューにしている店が他になかったからです。トルコライスとは簡単に云ってしまえば、オムライスの卵の部分に、一口ビフカツがとじられているものです。
ちょっと、まっったぁ! と向こうから声が聞こえました。ポークカツでないとダメなのよ、トルコライスは。と、その方は云うのです。その方は同じ会社で、もう何十年もいっしょに呑んでいるのにトルコライスのファンだとは知りませんでした。エェッ、てなもんです。

で、そこからは情報交換。大阪にはこんな店があるで。京都にはこんな店が。というわけで、京都代表はこれ、「のらくろのトルコライス」です。

その方の話では、どうもトルコライスの元祖は、チャンポンと同じように長崎にあるらしい。なるほど、グラバーさんも住んでいた長崎。鎖国日本の唯一の貿易港であった長崎。さもありなん。トルコライス発祥は長崎と、いさんで探索に出かけたのであります(本当は維新探検がメインプログラムでありましたが)。
ところが、彼の地のトルコライスは、トリコロール・ライスの略で、カレーピラフとトンカツとスパゲティが一つの皿にセットされているものでした。これちゃうやん。「これちゃうやん」でも、元祖トルコライス。そういうことを大事にする二人は、彼の地のトルコライスもおいしくいただき、こうして話のネタに使い回すのです。

その後、大阪代表の一番手として「ステレオ」のトルコライスを食べに行きました。大阪はまだまだお店があるようですが、京都は他に知らないなぁ。とか思っている間に、さすがブログの時代。ネットを見たら、なんとトルコライス専門ブログや、食べ歩きブログなど情報満載。全国各地からトルコライス情報が発信されているではありませんか。隠れていた文化が、表に顔を出しはじめたようです。トルコライス侮れず。好きな御仁がしっかりいるものだと感心しきり。「ひそやかさ」がなくなって、少しさびしいけれど。

2010年4月26日月曜日

東大阪に、東洋のハリウッド

町をぶらぶら歩くのは楽しい。そこが、馴染みのない町なら、もっと楽しい。磁場のない場所のコンパスのように、目がくるくるまわってしまう。そしてそれが一人じゃなく、気の知れた数人で、ワイワイ他愛もない話をしゃべくりながら歩くともっともっと楽しい。その終着点が呑み会となると、もう、もっともっともっと、となる。
こうした「時間」を楽しみたいから、いろんな探検隊が増えてくる。

というわけで、今日は(この前の土曜日は)シネマ探検隊だ。今までは京都の昔の撮影所巡りをしてきたので、今回は東大阪にあった昔の撮影所の跡を訪ねる。なんと、そこには京都太秦よりも昔に東洋のハリウッドと呼ばれた撮影所があったのだ。

それが帝国キネマの長瀬撮影所跡だ。今はその跡地の一部に、樟蔭学園の樟徳館(これも素晴らしい木造のお屋敷だ)などが建てられている。樟徳館の門の前には「帝国キネマ」と「樟徳館」の案内板が立てられている。そしてその前の橋は「帝キネ橋」と名付けられていた。

この日は、帝キネの小阪撮影所跡なども訪ね、さらにもう一つのお目当て「司馬遼太郎記念館」へ。入館料500円は高いなぁ。印象に残ったのは、開館してしばらくして出現したという、天井のシミ。見上げれば、なんとおなじみの龍馬の肖像そのままのシミなのだ。不思議(館内撮影禁止、ナンで?これも不思議)。
お腹もすいてきたので、遅いお昼は回転寿司へ。それも、ここから回転寿司が始まったという、布施駅前の元禄寿司さんへ。満腹満腹。まだ飲みに行くのは早いので、ここから今里へ、鶴橋へ、上六へと、ぶらぶらディープな町歩きが始まりました。

2010年4月18日日曜日

ボクは雑誌で育った

「ボーイズライフ」という雑誌があった。小学5年生くらいから2年ほど読んでいたと思う。「少年」というマンガ誌と「平凡パンチ」の間をつなぐ雑誌だった。この月刊誌と出会うことで、雑誌好きになってしまった。と言ってもいいくらいだ。マンガは少なかったが、冒険、ファッション、カーレース、ガン、世界のトピックスとなんでもござれ。小学生にとっていろんな世界を紹介してくれた、ありがたい雑誌だ。中学に進む頃には「平凡パンチ」や「プレイボーイ」という週刊誌が発刊されたし、「F6セブン」なんて雑誌もあった。「ガロ」も話題になった。「朝日ジャーナル」はまだ読まなかったけれど、発刊されたのはこの頃か。

その後「SFマガジン」「ミステリーマガジン」なども読み始める。ボクにとっての雑誌の黄金の時代が始まろうとしていた。

その後「ビッグコミック」など子ども向けでないマンガ誌が現れるし、「話の特集」や「○○責任編集 面白半分」なんて雑誌も読むようになった。「GORO」発刊もこの頃か。「GORO」は、バランスがうまくとれた雑誌で、グラビアタレントの文化を切り開きながら10年近く走ってきた。「NOW」というファッション雑誌もとてもよくできていて、ファッション雑誌なのに小説やエッセイに力を入れていた。今でも雑誌の鏡みたいに思っている。
誰かが深夜ラジオで、雑誌の創刊号を集めるのが趣味という話があって、それはいいと始めた。しかし、「写楽」や「SABU」(ホモ雑誌じゃないよ)「ワンダーランド」、「アンアン」「ポパイ」「ブルータス」や「エスクァイア」とさまざまな雑誌の登場に、創刊号を集めるという試みは財政的な忌憚を果たして消えてしまった。

映画から、テレビへ。アナログから、デジタルへ。さまざまなメディアの登場に刺激されてきた(または翻弄されてきた)世代なのだ。雑誌の種類なら今の方が多いだろうが、個性的な雑誌の数やアブナイ雑誌の種類では昔の方がはるかに多く、面白かったと思う。日常的な文化の濃さが、全然違うのだ。今のハイボールってなんか水に近くない?
昨年春頃からの、オピニオン雑誌次々廃刊のニュースにはじまり、ロングランの雑誌が相次いで廃刊している。雑誌ジャーナリズムや雑誌文化が消えていくのは、寂しい。
こんな時代の象徴ともなったiPadの登場も、少し悲しい。アメリカで売れすぎて、日本発売は1ヶ月伸びたらしい。

2010年4月12日月曜日

春の里で、「笑い仏」


加茂町・当尾(とうの)は石仏の宝庫です。浄瑠璃寺でも行ってみようという人には、クルマを置いて電車で行き、ぶらぶらと山辺の道を散策することをおすすめします。
わたし達はJR「加茂」駅で下車、タクシーで岩船寺まで行き、このお寺をゆっくり見学し、浄瑠璃寺をめざして歩くというコースを選択しました。

岩船寺は平安時代から鎌倉・室町時代にかけて栄えたらしく、三重塔の美しさもなかなかのものです。
浄瑠璃寺もよかったのですが、このお寺はこじんまりとしているのに、風格があり、ここまで来た甲斐がありました。

さて、ここから石仏の里へ。案内板に描かれているものだけでも十二ヶ所ほどに石仏が鎮座されているようです。コースもいろいろ。のんびりと出かけましょう。と思ったとたんに、すぐ一体目が現れたりします。
写真の「わらいぼとけ」はこの里の代表的な石仏とか。銘文によると1299年のもの。こうした自然石に彫られた仏様が多いようです。案内板もきっちり整備されています。雑木林の細道やたんぼのあぜ道を通りながら、ぶらぶらと進みます。お昼はコンビニで買ったお弁当とビールで、「わらいぼとけ」のようになってしまいます。

昔、広告の仕事で、安曇野の道祖神めぐりをしたことがありました。その時はクルマでいろんな道祖神を見て回り、地元で拓本をとっている人を訪ねたりしました。あれも、雪解けの春の頃。
ぽかぽかのお休みの日、この当尾はなによりのコースです。

2010年4月3日土曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #10 双ケ岡 ●●●


吉田兼好が居を構え、つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかったのはこの双ケ岡のふもと。南は花園の方から北の仁和寺まで、一の丘、二の丘、三の丘と、三つの丘がおまんじゅうを並べたように連なっています。いちばん大きい三の丘の頂上には古墳の跡もあり、眼下にはほんのり桜色の仁和寺が見下ろせます。三つの丘を登り下りしても20分ほど。山の上のひらけた林では、昔はよく時代劇の撮影をしていましたが、さて最近はどうでしょう。
そして写真の小径は、丘の東麓に整備された道。途中には公園があり、太極拳をするグループ、お弁当をひろげる家族連れ、バドミントンする大学生や、お花見をするホームレスの人たちなど、いろんな人たちに愛されています。兼好が「徒然草」を書いたといわれるお寺もこのすぐ左手に。道を仁和寺とは反対の南に歩けば、西行桜や蓮の花で有名な「法金剛院」もすぐ近く。最寄り駅は、JR嵯峨野線の「花園」駅か、嵐電(らんでん)の「御室」駅です。

2010年3月27日土曜日

ターバンで、ラフロイグコーク

ちょっといいスコッチ・バーが京都にあります。ここ「ターバン」のマスターとはもう30年くらい前から顔見知りで、結婚する前からよく行ってました。友達の友達が、あちこちでこの店につながっていて、みんなから愛されている不思議な店です。「ほっ」とする空気が心地よく流れています。
だからといって、呑みつぶれたりは出来ません。無作法な酒を飲んではいけない、という凛とした空気がカウンターを清々しく流れているからです。横を見ると、カウンターの皆さん背筋がピンとしているのです。

ちょっと前から、この店にいくとラフロイグなどアイラ島のスコッチを飲んでいます。

最近誰かのブログでラフロイグのコーク割りが流行っているという情報を仕入れました。そんなアホな、とは思ったのですが、「だまされたと思って飲んでごらん。コークの味が、ラフロイグのヨードのような香りをさらに引き立てるのだよワトソン君」。と、いうのです。こんなことオーダーできるのは、あの店だけだなと思い、出かけました。

まずは、ラフロイグのソーダ割りでウォームアップ。そして二杯目、マスターに「えェ~」といわれながら(目はすでに、何すんねんと、いってました)お願いしました。「おいしいらしいで、独特の味が際立って」と勧めたら、シェークしたスプーンで一口飲んで、これはないワという顔してました。
確かにこれはないワ。普通にソーダで割ってる方が、はるかにおいしい。ブログの噂はあてにならない。宿題をやり終えた気分で三杯目はボウモアのソーダ割りに。そして四杯目は… と、夜は更けていったのでした。

2010年3月21日日曜日

春って、いいですねェ~


春って、いいですねェ~。青空晴れて、ぽかぽかしていたら、たまりません。いちばんはじめに、こうした野や畑の草花たちがそわそわしはじめて。チョウチョたちが、ひらひらしはじめて。鳥たちがピーチクパーチク、鳴きはじめて。そして人間たちも、なにかそわそわしはじめる。人間たちはカレンダーに追いかけられてそわそわしている、のかもしれませんが。

春って、いいですねェ~。なにも用事がないのに、用事があるような振りをしてお出かけしたりして。心地いい風なんかそよいでいたら、たまりません。子どもたちも春休みで宿題はないし、試験勉強は終わったし。

お年寄りたちも公園でのんびり、もうそんなに寒くないし。なにより日が長くなって、みんながのんびりゆっくり一日を楽しんでいるようです。

ちょっとクルマで遠出でもしてみようかという気にもなります。窓を開けて走るのは、まだちょっと寒いかもしれませんが、いろんな春の匂いが流れ込んで来ることでしょう。

ところでこのタンポポ。昔のとちょっと違いますよね。花のカタチも葉のカタチも、違うようです。元々日本で自生していたタンポポを追い出していった外来種でしょうか。外来種のパワーはすさまじく、和のタンポポはなかなか目にしなくなったようです。京都御所にはまだ生き残っているという記事を読んだ気もします。いちど、探しに行ってみましょう。

2010年3月13日土曜日

さよなら、阪急6300系車輌

阪急梅田に朝着くと、乗ってきた電車を撮影している人がたくさんいる。ああそうか。新聞に載っていた、この電車の引退記事を思い出した。阪急電車の6300系は京都線専用の特急車輌として設計され運用されてきたようだ。1975年のデビューだから、ボクが働き始めてすぐに登場し、先月まで走り続けていたのだ。ご苦労様でした。

この6300系は、車輌が2ドアで、出入り口の4人掛けボックスを除いて、すべてが2人掛けのロマンスシートになっている。ズド~ンと、2人掛けだ。そういえば最近は、桂から乗るとき3ドアの列車ばかりだと思っていたら、この車輌は2月28日を持って京都本線の運用を終了したらしい。

落ち着いたシートの生地といい色といい、照明といい、結構風格を大事にした内装だった。(ちなみに関西の電車は照明にみなカバーが付いているが、東京の方は蛍光灯がむき出しらしい。関西は大事なムダを省くことを許さない。何かで読んだがチェックしていない)

6300系に替わって現在は、ロマンスシートだけど3ドアの9300系が京都線を走っている。特急だけでなく、急行もこの車輌を使っているのがうれしい。やっぱりベンチ型よりこっちの座席の方が落ち着ける。そして6300系はリニューアルされて、嵐山線で第2の人生を送るらしい。長距離特急・専用設計の2ドア・ロマンスシートは、短い嵐山線ではかえって利用しにくいかもしれない。

昨日は、JRのブルートレイン「北陸」や急行「能登」のラストランがニュースになっていた。乗車率が12%の日もあったというから廃止も致し方ないのだろう。昭和の風景が少しずつ消えていく。

2010年3月7日日曜日

時間があれば、銀座の路地ブラ

最近、出張がなくなってきたので、東京で飲むという機会もめっきり減ってきました。でも、何かの用事で行ったときは時間があればうろうろ散歩し、連れがいれば安くておいしそうなお店を見つけて入るというのがお楽しみです。
「銀座」という土地に惹かれるせいか、銀座を中心にうろうろするのが多いです。JR東京駅に近くて、遅くまで呑めるという感覚もあります。

で、そうした時間に見つけたお店が「魚がし料理 佃喜知」さんです。雑誌「東京人」に載っていたお店を、路地を探し回り見つけました。こうした路地を一軒一軒、お店を覗きながら歩くのは愉しいものです。

このお店はご家族でやってらっしゃって、その名の通り、ご主人が魚河岸から仕入れてきた素材を料理して出してくれます。食べ物にはちょっとウルサイ、クライアントのマンボさんからもここはうまいとお墨付きをいただきました。

突き当たりの角を曲がってまっすぐ行けば「泰明小学校」、銀座をブラブラして有楽町まで来てしまったわけです。
別な時、おそばの「泰明庵」にも入りましたが、関西にはない肴がいろいろあって、ここもおいしかった。

学生時代は、テイジンのメンズショップやソニービルなどをみて銀ブラしていましたが、最近はメインストリートより路地ブラする方が愉しいですね。2年ほど前ぶらぶら歩いたときは、どこかのクラブのママの誕生日を祝う花輪がずらっと通りを占拠していました。なにやら銀座のクラブの生き字引的なママさん(おばあさん)の誕生日らしく、不景気な時代に圧巻の景色でした。花輪の名前を一つ一つ見たかったのですが、待ち合わせの時間に遅れそうだったので見ることが出来ませんでした。残念。

2010年2月27日土曜日

お楽しみは、「大脱走」


ドイツの捕虜収容所に入れられた連合軍将校の捕虜たちが、トンネルを何本も掘って脱走を計画するという一風変わった戦争映画「大脱走」。「荒野の七人」であてたジョン・スタージェス監督の、1963年の作品。今見ると、そうそうたるスターが競演している。捕虜になって何が出来るか。実話に基づく、「脱走という戦い」のドラマだ。
なんといってもマックィーンのかっこ良さや自由さに、憧れてしまう映画なのである。なにしろ、この映画で、マックィーンが好きになってしまったのだ。なのであるが、何回か見るうちに、ワタシのココロに深く残っていくのは、ジェームズ・コバーンの飄々とした脱出シーンであった。

「飄々」という人生のスタイルがとても大切だと、この映画のコバーンは教えてくれた。ラスト近く、コバーンは自転車にトランクをくくりつけ、ゆっくりと田舎道から脱出してゆく。なにごとも焦らず、隠れることなく、真っ直ぐ、ゆっくり進んでいけばいい。ジョン・スタージェスの映画にはなぜか、こうした「飄々とした」男たちが多く登場するのだが、この映画のコバーンはひときわ軽い風のような感じだ。



「飄々と生きる」とはどういうことか。さらに、その思いに答えてくれたのが、ジョージ秋山の「浮浪雲(はぐれぐも)」だ。浮浪の旦那はお金持ちではあるけれど、飄々と生きていけるのはそのおかげだけじゃないだろう。
飄々とした生き方は、まともな人間としての感覚が体の芯に通っていないとダメなんだ、と、いうことなのだろう。映画もマンガも、人生まだまだ勉強だワ、と教えてくれる。

2010年2月21日日曜日

こんな嵐電で、通勤してます

毎朝、乗っている嵐電(らんでん)をご紹介します。この電車は、小学校に通うときから乗っていました。「四条大宮」駅から「嵐山」駅への線を嵐山線、途中の「帷子の辻」駅から「白梅町」への線を北野線といいます。
小さい頃は、「白梅町」までではなく「北野」(天満宮の手前まで)が終点でした。市電の北野線が廃止になったのと同じ頃、現在の「白梅町」まで、線路が短くなったと記憶しています。

京都の市電がなくなってしまったので、京都で唯一、車道を走る路面電車です。車の信号で電車も停車します。路面電車に慣れていない観光客はビックリしています。事故が起きそうで、起きない。あまりにもスリリングすぎて皆が気を付けているからでしょう。アブナイのは年寄りで、電車が来ても平気で道を渡っています。

ワタシが好きな電車は、上の写真のレトロな色の電車です。旧い車輌に、塗装や内装をし直して走っています。なかなかおしゃれです。昔は、小学校の校舎のような油びきの木の床でした。その旧さも良かったのですが。

この10年ほどの間に、車輌をラッピン
グして広告媒体にするなど、嵐電も変わってきました。広告ではないですが、源氏物語の絵巻がラッピングされた電車は、中吊りポスターの代わりに絵巻の絵がかかっています。この、水木しげるの妖怪電車は夏の間はお化け屋敷の電車として走ります。乗った子供たちはわぁわぁ泣いているようです。車内灯を消して、妖怪が乗っているのですから、さぞ怖いことでしょう。

昨日の朝日新聞夕刊の「ぷらっと沿線紀行」でこの嵐電が紹介されました。写真は最近走り出した、梅電車でした。網棚などが梅の造花で飾られ、車内は沿線の梅の名所の写真ギャラリーになっています。北野天満宮は今、五分咲きのようです。

2010年2月11日木曜日

重文の中、ぷらぷら歩ける

この前テレビを見ていると、京都府警の建物がアンティックで格好よかった。どこかの大学の校舎を利用していると思っていたが、違う局の警察ドラマでもその建物が出てきた。タイトルのロケ地協力に、京都府庁旧館の名前があったので出かけてみた。
京都府庁は前に、維新探検隊で訪ねたことがある。新撰組に関係ある京都守護職上屋敷跡だからだ。その時も正面の門は閉まっていた。閉まっているので入れないと思っていたが、なんの東門から自由に入ることが出来た。

威風堂々とした姿の京都府庁旧館は、明治37年竣工(下の写真)。今も現役の庁舎として使用されている重要文化財だ。

ちょっとエアコンなど問題ありそうだが、天井も高く、こんな場所で働くのも悪くない。自由に歩き回れ、昔の重厚な建築美にしばし見とれる。平日なら旧知事室にも入れるらしい。
中庭の作庭がまた、無鄰菴でおなじみの小川治兵衛さんだ。水の流れはないが、さくらの季節は美しそう。ベンチで読書しながら、うたた寝するにはぴったりのお庭だ。

そうそう、テレビドラマの京都府警も本物でした(上の写真)。府庁の隣りに「コの字」形に正面の庭を囲んで、府警の建物が建っていました。もちろんこちらも現役。明治の建物が、平成でもしっかりお仕事している。京都ってシブチン。でもなかなかいいやん、と思えるお散歩でした。
この旧館の外や中は、きっといろんなテレビや映画でロケされているはず。休日に京都御所方面におでかけの折には、ぜひ一度お立ち寄りください。無料です。

2010年2月7日日曜日

今朝は久しぶりの雪景色


今朝は久しぶりに雪が積もっていた。昨日の朝もうっすらと積もっていたが、8cmくらい積もったのは、今年初めて。京都にもやっと冬が来た感じだ。でも、空は快晴。きらきらまぶしい雪景色。だが、溶けていくのも早い。高校生たちがサッカーの練習をしていた真っ白のグランドも、もうすっかり雪は消えてしまった。

雪を見るのが本当に少なくなった。京都では最近は、年に2回か3回積もるくらいだ。どこの町でもそうだろうが、昔はもっと雪が積もっていた。昭和30年代くらいまでか。家の近くの道はアスファルトではなく、地道だったせいか、雪の遊び場になった。

雪なげ、雪だるま、近くの坂道では、ソリまで出来た。そんなことして遊んでいる子どもたちを見かけなくなった。
子どもたちは最近、外で遊ぶのを忘れているみたいだけれど。

ベランダの小さな鉢の植物たちもすっぽり雪につつまれていた。今は育てている野菜もなく、静かな佇まい。
写真に写っている北の山も白かったけれど、あっという間に雪が消えてしまった。もっと西の方には愛宕山があるが、さすがそちらはまだ雲に覆われていて、山頂では雪が降っているみたいだ。

2010年1月31日日曜日

今年の春便り、第一便です

昨日はとても暖かく、病院にお見舞いに行った帰りに御所をブラブラ。なんともう、梅が咲きはじめていました。近づくと梅のよい匂いがほのかにただよってきます。御所をバックに梅の写真をと思ったのですが、見まわしても咲いているのはこの梅の木のみ。でも他の白梅などもぷっくらと蕾がふくらみ、ずっと暖かだと来週はもっと咲き、カメラを向ける人が多くなっていることでしょう。

御所はさすがに観光客は少ないものの、暖かい日差しに誘われて、散歩する人や、子どもと遊ぶ人の姿が多くみられました。グランドでは野球をする少年チームの声が響き、御所らしいいい空気が流れています。

帰りに二条のシネコンで映画を見て帰りました。映画は、テリー・ギリアムの「Dr.パルナサスの鏡」。死んでしまったヒース・レジャー(「ダークナイト」のジョーカー役でアカデミー助演男優賞)を中心に、ジョニー・デップやジュード・ロウ、コリン・ファレルが共演。トム・ウェイツが悪魔の役で出ているのにはビックリでした。
映画はもう、超豪華なモンティ・パイソンが炸裂。始めは眠たかったけど、お話が佳境にはいるとぐんぐん引き込まれていきました。でもこの映画、好きな人キライな人はっきり別れてしまうでしょう。
モンティ・パイソンが好きな人にはおすすめ(あとでテレビでみるより。映画館がいいと思います)。

2010年1月24日日曜日

ベルリーナ、今見てもいい姿


わが家の自家用車の第1号は、このダイハツ・ベルリーナです。写真はネットから見つけたものですが、このカタチこの色。たしか、800ccで2ドアクーペでした。1964年製。イタリア人がデザインした車で、その後イタリアデザイナーの手になる日本車が増えていきます。
木目のパネルに、3本スポークのステアリング、かっこいいのに、シフトはなぜかコラムシフト。この部分だけガックリでした。センターピラーについた小さなオレンジの方向指示灯がアクセントでした。免許とりたての父が、近所の自動車整備工場から買った車です。


オソロシイことに、買ってすぐ、父の田舎の九州まで家族4人で帰りました。東京オリンピックの時代。まだ中国道などの高速道路があるはずもなく、道もひどく過酷な旅行となりました。帰りはみんな汽車で帰りたかったはずです。きっと、父も。
そうそう、この車の真っ赤なオープンカーがでてくるTV番組があったのです。月光仮面やジャガーの眼の続きで、大瀬康一主演の「バックナンバー333」というものでした。旧~~ッ。

高校を出てすぐ免許を取りました。運転を始めてしばらくは、このベルリーナにお世話になりました。すでにポンコツで馬力もない車でしたが、柔らかな曲線のデザインは好きでした。それから2年くらいたって廃車になってしまいましたが。

2010年1月16日土曜日

「ウィローズ」まで歩いて

ホノルルへ行ったら、また行きたいレストラン。行く人にぜひおすすめしたいレストラン。それがウィローズです。ワイキキから30分ほど歩いて、カイムキのモイリイリという町の住宅街の中にあります。時間のない人はバスかタクシーを利用して、ぜひどうぞ。名前通り、柳の木と大きなゲートがお出迎え。一歩中に入れば、えっ、こんなに広いのとビックリです。

レストランは池の上の船のよう。庭の池には本物のカヌーが浮かんでいます。レストランの奥の庭には小さなチャペルも有り、別室のホールでは結婚パーティが行われているようです。
ポッドキャスト情報では、地元の人から愛されているレストランだとかで、ぜひ行ってみたかったのでした。

お昼に行ったのですが、1メニュー。お昼のバイキング=$16.00くらい。でも、このバイキングがお値打ち。カルアピッグやラウラウといったハワイの伝統料理から、おいしいと評判のカレーまで、さまざまな料理が楽しめます。隣室のキッチンで好きな料理を盛ってきて、あとは飲み物をオーダーするだけ。とても気楽に楽しめます。
地元のお爺やおばあがサークルの集いのように歓談しているのも和やかな雰囲気。店内のスタッフが年寄りに気を使っている様子がとても自然で、いい空気が流れていました。
多分、平日でお昼が遅かったので空いていたのでしょう。予約もせずに行ってもOKでした。わざわざここまで来る観光客は少ないみたいです(夜のオプションツアーで、ホノルルの夜景を見てこのウィローズに来るというツアーはあるとか)。

帰りはまた、ぶらぶらとアラワイ運河沿いにあるアラワイゴルフコースに沿ってアラワイパークの方へ。そしてワイキキの端から端へぐるっと回って帰ると、2時間以上たっていました。こんな感じで、レンタカーを借りていない日は、アラモアナ方面へダウンタウンへ、ワード方面へと、ほとんど歩いていました。お昼はちょっと頑張ったので、夜食はお安くフードコートへ。

2010年1月9日土曜日

彼らは何処へ



たぶん妙心寺あたりのお坊さんの修行でしょう、ときどき雲水さんが「ほぉ~~~」と声を出しながら町内を歩いていきます。(「法施(ほっせ)」といっているらしい)。休日の朝とかが多くて、眼を覚ましてしまいます。いつもは10人前後なのですが、この前会社に行く時に、西の方から50人くらいの雲水さんがこちらに向かってきたのでびっくりしてしまいました。
そういえば、その前の休日に嵐山の天竜寺に行ったとき、若い坊さんが集団でいたので、きっと彼らなのでしょう。


昔は玄関に立ち止まり、お経のようなものをあげてくださり、母親がお米などをあげていました。今は各家を回って托鉢するより、お経をあげながら通り過ぎていくという印象です。
冬の寒いときにわらじ一つでと思って足下をみたら、なんかスニーカーのようなモノを履いています。おやおや、それもお揃いみたいです。京都のお寺で修行の合宿があるという感じです。

ベテランの雲水さんの声は透き通り、よくハモり、町内に響く「ほぉ~~~」が輪唱のようで、とてもキレイなのですが、この日の雲水さんたちはバタバタと騒々しいのでありました。
そう云えば昔は、虚無僧さんも町内を歩いていた。家で留守番している時に、玄関の前で尺八など吹かれて、とても怖かった記憶があります。

時代劇のスパイはみんな虚無僧の姿をしていましたね。虚無僧さんの姿は、最近、町中はもちろん映画の中でさえ見なくなりました。

2010年1月3日日曜日

「お宝」探して、セーリング


あけましておめでとうございます。
二番底が来るだの、鳩山政権は参院選まで持たないだの、どうも落ち着きがない世の中。そう言いながら通勤電車で出かけ、一年の大半を都市で働き、帰ってもTVの情報を中心に暮らしていると、どうもそのペースに乗せられてしまっているみたいです。「稀薄」で「ちゃらちゃら」で感動のない時の流れ。
そうした流れには流されず、というより、流れを気にせず、流れに足をとられることなく、しっかり歩いていける術を見つけなければと思う新年であります。
写真はいつもお参りに行く上賀茂神社で買った宝船の版画。今年が皆さまにとって、幸せ多い年でありますように。本年もマイペースで「お宝」探して、お気楽さんぽしてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。