街を歩こう。山を歩こう。嵯峨野を歩こう。旅を歩こう。維新を歩こう。映画を歩こう。

月に一・二度はフェアウェイも歩こう。お気楽な日々を、お気楽に記録していこう。

お気楽さんぽ

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2010年4月26日月曜日

東大阪に、東洋のハリウッド

町をぶらぶら歩くのは楽しい。そこが、馴染みのない町なら、もっと楽しい。磁場のない場所のコンパスのように、目がくるくるまわってしまう。そしてそれが一人じゃなく、気の知れた数人で、ワイワイ他愛もない話をしゃべくりながら歩くともっともっと楽しい。その終着点が呑み会となると、もう、もっともっともっと、となる。
こうした「時間」を楽しみたいから、いろんな探検隊が増えてくる。

というわけで、今日は(この前の土曜日は)シネマ探検隊だ。今までは京都の昔の撮影所巡りをしてきたので、今回は東大阪にあった昔の撮影所の跡を訪ねる。なんと、そこには京都太秦よりも昔に東洋のハリウッドと呼ばれた撮影所があったのだ。

それが帝国キネマの長瀬撮影所跡だ。今はその跡地の一部に、樟蔭学園の樟徳館(これも素晴らしい木造のお屋敷だ)などが建てられている。樟徳館の門の前には「帝国キネマ」と「樟徳館」の案内板が立てられている。そしてその前の橋は「帝キネ橋」と名付けられていた。

この日は、帝キネの小阪撮影所跡なども訪ね、さらにもう一つのお目当て「司馬遼太郎記念館」へ。入館料500円は高いなぁ。印象に残ったのは、開館してしばらくして出現したという、天井のシミ。見上げれば、なんとおなじみの龍馬の肖像そのままのシミなのだ。不思議(館内撮影禁止、ナンで?これも不思議)。
お腹もすいてきたので、遅いお昼は回転寿司へ。それも、ここから回転寿司が始まったという、布施駅前の元禄寿司さんへ。満腹満腹。まだ飲みに行くのは早いので、ここから今里へ、鶴橋へ、上六へと、ぶらぶらディープな町歩きが始まりました。

2010年4月18日日曜日

ボクは雑誌で育った

「ボーイズライフ」という雑誌があった。小学5年生くらいから2年ほど読んでいたと思う。「少年」というマンガ誌と「平凡パンチ」の間をつなぐ雑誌だった。この月刊誌と出会うことで、雑誌好きになってしまった。と言ってもいいくらいだ。マンガは少なかったが、冒険、ファッション、カーレース、ガン、世界のトピックスとなんでもござれ。小学生にとっていろんな世界を紹介してくれた、ありがたい雑誌だ。中学に進む頃には「平凡パンチ」や「プレイボーイ」という週刊誌が発刊されたし、「F6セブン」なんて雑誌もあった。「ガロ」も話題になった。「朝日ジャーナル」はまだ読まなかったけれど、発刊されたのはこの頃か。

その後「SFマガジン」「ミステリーマガジン」なども読み始める。ボクにとっての雑誌の黄金の時代が始まろうとしていた。

その後「ビッグコミック」など子ども向けでないマンガ誌が現れるし、「話の特集」や「○○責任編集 面白半分」なんて雑誌も読むようになった。「GORO」発刊もこの頃か。「GORO」は、バランスがうまくとれた雑誌で、グラビアタレントの文化を切り開きながら10年近く走ってきた。「NOW」というファッション雑誌もとてもよくできていて、ファッション雑誌なのに小説やエッセイに力を入れていた。今でも雑誌の鏡みたいに思っている。
誰かが深夜ラジオで、雑誌の創刊号を集めるのが趣味という話があって、それはいいと始めた。しかし、「写楽」や「SABU」(ホモ雑誌じゃないよ)「ワンダーランド」、「アンアン」「ポパイ」「ブルータス」や「エスクァイア」とさまざまな雑誌の登場に、創刊号を集めるという試みは財政的な忌憚を果たして消えてしまった。

映画から、テレビへ。アナログから、デジタルへ。さまざまなメディアの登場に刺激されてきた(または翻弄されてきた)世代なのだ。雑誌の種類なら今の方が多いだろうが、個性的な雑誌の数やアブナイ雑誌の種類では昔の方がはるかに多く、面白かったと思う。日常的な文化の濃さが、全然違うのだ。今のハイボールってなんか水に近くない?
昨年春頃からの、オピニオン雑誌次々廃刊のニュースにはじまり、ロングランの雑誌が相次いで廃刊している。雑誌ジャーナリズムや雑誌文化が消えていくのは、寂しい。
こんな時代の象徴ともなったiPadの登場も、少し悲しい。アメリカで売れすぎて、日本発売は1ヶ月伸びたらしい。

2010年4月12日月曜日

春の里で、「笑い仏」


加茂町・当尾(とうの)は石仏の宝庫です。浄瑠璃寺でも行ってみようという人には、クルマを置いて電車で行き、ぶらぶらと山辺の道を散策することをおすすめします。
わたし達はJR「加茂」駅で下車、タクシーで岩船寺まで行き、このお寺をゆっくり見学し、浄瑠璃寺をめざして歩くというコースを選択しました。

岩船寺は平安時代から鎌倉・室町時代にかけて栄えたらしく、三重塔の美しさもなかなかのものです。
浄瑠璃寺もよかったのですが、このお寺はこじんまりとしているのに、風格があり、ここまで来た甲斐がありました。

さて、ここから石仏の里へ。案内板に描かれているものだけでも十二ヶ所ほどに石仏が鎮座されているようです。コースもいろいろ。のんびりと出かけましょう。と思ったとたんに、すぐ一体目が現れたりします。
写真の「わらいぼとけ」はこの里の代表的な石仏とか。銘文によると1299年のもの。こうした自然石に彫られた仏様が多いようです。案内板もきっちり整備されています。雑木林の細道やたんぼのあぜ道を通りながら、ぶらぶらと進みます。お昼はコンビニで買ったお弁当とビールで、「わらいぼとけ」のようになってしまいます。

昔、広告の仕事で、安曇野の道祖神めぐりをしたことがありました。その時はクルマでいろんな道祖神を見て回り、地元で拓本をとっている人を訪ねたりしました。あれも、雪解けの春の頃。
ぽかぽかのお休みの日、この当尾はなによりのコースです。

2010年4月3日土曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #10 双ケ岡 ●●●


吉田兼好が居を構え、つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかったのはこの双ケ岡のふもと。南は花園の方から北の仁和寺まで、一の丘、二の丘、三の丘と、三つの丘がおまんじゅうを並べたように連なっています。いちばん大きい三の丘の頂上には古墳の跡もあり、眼下にはほんのり桜色の仁和寺が見下ろせます。三つの丘を登り下りしても20分ほど。山の上のひらけた林では、昔はよく時代劇の撮影をしていましたが、さて最近はどうでしょう。
そして写真の小径は、丘の東麓に整備された道。途中には公園があり、太極拳をするグループ、お弁当をひろげる家族連れ、バドミントンする大学生や、お花見をするホームレスの人たちなど、いろんな人たちに愛されています。兼好が「徒然草」を書いたといわれるお寺もこのすぐ左手に。道を仁和寺とは反対の南に歩けば、西行桜や蓮の花で有名な「法金剛院」もすぐ近く。最寄り駅は、JR嵯峨野線の「花園」駅か、嵐電(らんでん)の「御室」駅です。