「ますだ」は先斗町の居酒屋で、司馬遼太郎も通ったという老舗です。カウンターに大鉢がのっている光景は雑誌などでも紹介されているとおりです。あまりに有名すぎて、お値段もちょっと高そうなので、しかも地元の人間が京のおばんざいをわざわざ食べに行かなくても、などの理由で敬遠してました。
でも先日、ケンミンショーにちょっと出てたので、一度くらいは行っておこうと出かけました。
カウンターが狭いのはわかっていたので、5時ジャストの開店を狙って行きました。10分前にはもう一人待っていました。5時きっかりに、暖簾があがり、「おいでやす」。お母さんのような女将と、息子さんのような大将を中心に、バイトの子もてきぱきと働いています。
いやぁ、お料理みんなおいしかったです。大きな徳利に入った賀茂鶴の熱燗で、こころもほかほか。両脇のお客はどこかの大学の先生らしく、話題がちょっとうるさいけれど、気にしない。
茶室のような天井も、席の作りも、今の居酒屋では望めない凝りよう。先代の思い入れがしっかりと息づいています。壁には「とっくり2本まで、門限10時」の筆書き。だらしなく呑めません。お値段は二人で15,000円。こんなにおいしいものゆっくり食べられるなら、たまにはいいのでは。
店の中は意外と広く、2階にも座敷などあるそうです。そちらは予約もできるとのこと。でもねえ、やっぱりカウンターがいちばんです。
店内やお料理の写真撮るのすっかり忘れていました。先斗町ご近所の風景でごめんして。
2011年1月29日土曜日
2011年1月22日土曜日
土曜日の朝は、山登りと朝市に
ハワイに行ったのは2年前。このブログでもちょこっとづつ書いてきましたが、忘れそう。情報にも賞味期限があるだろうし、出し惜しみせずにいろんなこと書いていきます。ハワイに行くときの参考にしてください。そうかみんなで行きましょう。
ハワイ情報放出。今日の写真は、ダイヤモンドヘッドと、CCの朝市。
朝早く起きて、ダイヤモンドヘッドに登りました。駐車場までタクシーで行って、1時間半ほど歩いたでしょうか。クレーターの中に駐車場があり、外輪にそって登っていきます。よく雑誌でも紹介されて
いるけど、ワイキキが眼前にひろがり絶景です。旅程に余裕のある人は、ぜひオススメします。
町の位置関係もよくわかります。写真はすぐ下の海。地元の人のサーフポイントの近くです。
で、帰りには歩いて、コミュニティカレッジの朝市に行きました。ダイヤモンドヘッドの北の山麓にあります。毎土曜日に開かれる朝市で、多分ホノルルで(=ハワイで)一番大きい朝市ではないでしょうか。
ここに行くときはお腹を空かして行きましょう。ハワイ州で収穫したものしか売れない朝市ということで、地元の人向け。おいしいものが満載です。
ハンバーガーもピザも、肉も鳥も、ジンジャーエールも、生ジュースもアイスクリームも何でもうまい。ジャムなどのお土産もここで仕入れました。帰りはぶらぶらと麓の町中を歩き、カピオラに公園の方からホテルに。1時間ほどの散歩です。
朝市は毎週土曜日というのが、要注意ですが、今度ハワイに行ってもまた行ってみたいコースです。
2011年1月16日日曜日
竹屋町通で、京の町横断
このところ、ずっと寒く、明日はもっと大寒波がやって来るとのこと。ならば今日は久しぶりに、ちょっとロングお散歩に。
円町から歩き始める。そして、出世稲荷のあたりから、今日は「竹屋町通」をずっと歩いてみることにした。
竹屋町通は、二条城の北側から始まっているようだ。二条城の北側のお堀にそって、東へ。
堀川の竹屋町橋をわたり、烏丸通りまでの間が、古いお店などが残っていて面白い。仕出し屋さん、昆布屋さん、神具のお店、醤油、味噌の店などなど、古い看板が見かけられる。江戸時代には、職人の町として知られていたようだ。
平安京の大炊御門大路(おおいのみかどおおじ)にあたるそうだ。懐かしい仁丹看板にも「大炊」の文字が。
烏丸をすぎると、町中になっていくためか古い町の面影はなくなってくる。丸太町通と、家具で有名な夷川通との間の道をまっすぐ東へ。寺町の革堂で突きあたりになるが、一本南の道へずれて続く。さらに歩いていくと、鴨川で途切れてしまう。
いやいや鴨川も渡ってみると、東竹屋町という町名。京大熊野寮(なんと工事していた)の南側の道が「竹屋町通」だ。これをさらにまっすぐいくと平安神宮が立ちはだかる。お昼は一番星ラーメンへ。
平安神宮の東には「竹屋町通」の名はないが、道はまっすぐつづく。岡崎のホテル街を抜けると、やがて白川へ。ここらあたりで、今回の調査は終了。南禅寺あたりを散策し、水路閣方面へ。蹴上げから帰ってきた。
西大路通から白川通まで、東西横断は約12,000歩くらいだった。
※京都市内の通りの名は「り」をおくらないことになっている
円町から歩き始める。そして、出世稲荷のあたりから、今日は「竹屋町通」をずっと歩いてみることにした。
竹屋町通は、二条城の北側から始まっているようだ。二条城の北側のお堀にそって、東へ。
堀川の竹屋町橋をわたり、烏丸通りまでの間が、古いお店などが残っていて面白い。仕出し屋さん、昆布屋さん、神具のお店、醤油、味噌の店などなど、古い看板が見かけられる。江戸時代には、職人の町として知られていたようだ。
平安京の大炊御門大路(おおいのみかどおおじ)にあたるそうだ。懐かしい仁丹看板にも「大炊」の文字が。
烏丸をすぎると、町中になっていくためか古い町の面影はなくなってくる。丸太町通と、家具で有名な夷川通との間の道をまっすぐ東へ。寺町の革堂で突きあたりになるが、一本南の道へずれて続く。さらに歩いていくと、鴨川で途切れてしまう。
いやいや鴨川も渡ってみると、東竹屋町という町名。京大熊野寮(なんと工事していた)の南側の道が「竹屋町通」だ。これをさらにまっすぐいくと平安神宮が立ちはだかる。お昼は一番星ラーメンへ。
平安神宮の東には「竹屋町通」の名はないが、道はまっすぐつづく。岡崎のホテル街を抜けると、やがて白川へ。ここらあたりで、今回の調査は終了。南禅寺あたりを散策し、水路閣方面へ。蹴上げから帰ってきた。
西大路通から白川通まで、東西横断は約12,000歩くらいだった。
※京都市内の通りの名は「り」をおくらないことになっている
2011年1月9日日曜日
冬の広沢の池はこんなです
今年に入って、すごく寒い日が続いている京都。今日は久しぶりに暖かい休日だったので、広沢の池へと散歩に行った。
昨年12月の冬の風物詩「鯉あげ」のときのまま。池の水は抜かれたままになっています。愛宕山には残雪がわずかに残り、冬らしい景色。
池のまわりの桜の木には、もう蕾がしっかりついています。ふくらんでくるのは、まだまだこれからのことでしょうが、桜も池も、春を迎える準備はもうととのっています。
田んぼの中の細い道を歩いていても平和そのもの、といった感じ。そうした嵯峨野の雰囲気を愛する人が多いのか、なにも行事のないこんな日でも、リュックをさげたお年寄りを多く見かけました。
昨年は登らなかった愛宕山に、暖かくなったらまた登ってみたいと思います。
2011年1月1日土曜日
あけましておめでとうございます
皆さま、あけましておめでとうございます。
昨年は、後半のさぼり気味のブログのまま、年末に突入。もう20年ほど続いている、仲間たちとの「かにすき」の忘年会をテーマに2010年最後のブログを書こうと思ってましたが、これも写真を撮り忘れ頓挫してしまいました。
結局、書きたいネタはまだまだあるのですが、一緒に載せる写真がないのです。その写真を撮るのが、まぁ邪魔くさいとなるわけです。
で、今年は、昨年以上に積極的に写真を撮って行こうと思います。iPhoneでもいい写真が撮れるのですが、ちゃんとカメラを持っていないと写真を撮るという姿勢が出来ないみたいで、今年はカメラを出来るだけ連れてお出かけしたいと思います。
で、いの一番の写真は朝七時ごろの元旦の風景。トイレに起きた時あまりにも清々しい風景だったので、早速数枚撮りました。屋根にも、道路にも、昨日の雪が、まだばりばりになって残っています。天気予報は今日一日曇りか雪なのに、一日中いい天気で晴れていました。いい年の始まり。そうあって欲しいものです。
ということで、今年も一年、よろしくお付き合いください。
昨年は、後半のさぼり気味のブログのまま、年末に突入。もう20年ほど続いている、仲間たちとの「かにすき」の忘年会をテーマに2010年最後のブログを書こうと思ってましたが、これも写真を撮り忘れ頓挫してしまいました。
結局、書きたいネタはまだまだあるのですが、一緒に載せる写真がないのです。その写真を撮るのが、まぁ邪魔くさいとなるわけです。
で、今年は、昨年以上に積極的に写真を撮って行こうと思います。iPhoneでもいい写真が撮れるのですが、ちゃんとカメラを持っていないと写真を撮るという姿勢が出来ないみたいで、今年はカメラを出来るだけ連れてお出かけしたいと思います。
で、いの一番の写真は朝七時ごろの元旦の風景。トイレに起きた時あまりにも清々しい風景だったので、早速数枚撮りました。屋根にも、道路にも、昨日の雪が、まだばりばりになって残っています。天気予報は今日一日曇りか雪なのに、一日中いい天気で晴れていました。いい年の始まり。そうあって欲しいものです。
ということで、今年も一年、よろしくお付き合いください。
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