街を歩こう。山を歩こう。嵯峨野を歩こう。旅を歩こう。維新を歩こう。映画を歩こう。

月に一・二度はフェアウェイも歩こう。お気楽な日々を、お気楽に記録していこう。

お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2012年12月24日月曜日

iPhone3GSが破裂した


先月、新しいiPhoneに替え、古いiPhone3GSはクルマのなかで音楽専用で使おうと思っていました。多くのアプリを外し、WiFiやキャリアも外し、ハードディスクの余った分にアルバムを増やし準備万端。でも自然放電というか、何も使わなくてもバッテリーってなくなっていくんですね。

2週間もすればすっからかん。充電して満タンにして、放っておくとまたすっからかん。満タン充電して・・っと、3回ほどこんなコトしたでしょうか。

先日、写真のように、パカッとiPhoneが破裂してるではありませんか。まるで、焼きハマグリのよう。ようく見てみると、奥のバッテリーらしきものが膨張してブヨブヨに。それが基盤を押し上げ、ガラス面を押し上げ、見るも無残。ついひと月前まで使っていただけにショックです。買って使って丸3年。バッテリーもヘタレずによく持つもんだと感心していた矢先ではありました。

バッテリーを完全放電して充電を繰り返すとまずいということなのか。 お前は大丈夫か?新しいiPhoneをじっと見つめてしまいます。

それにしても新しいiPhone。進化していくのはいいのですが、iTuneのインターフェースがかわったりなどと、進化に追いついていく努力もしんどくなってきたわ。そんなことない?

2012年12月8日土曜日

お好み焼「お多福」が店じまい


大阪・肥後橋にお好み焼き屋の「お多福」という店があります。僕が会社員になった頃にはあったので、そうとうふるいお店かもしれません。会社から近かったのでよく行きました。仕事帰りにちょっとビールとお好み焼きを食べに。軽く呑んで帰るには、いいコースなのです。後輩から相談事を聞くときも、ゆっくり食べながら聞けるので、時々利用してました。昼間の定食には人が並んでいて、ほとんど入れませんでしたが。

同年代の酒を飲めないデザイナーとも行きました。そのデザイナーとは入社した時から、よく組んで仕事をしていたので、「お多福」でいろんな話をしました。まだ20代の頃の話です。

「特満月」というのがオリジナルメニュー。ミンチの入っているお好み焼きのウマさもこの店で知りました。家でお好みをするときも、ときどきこのミンチバージョンを食べます。

この「お多福」が今年いっぱいでお店を閉めるとのこと。この前行った時も、1時間半ほどの間に、2階の席には僕ら一組だけでした。昔は繁盛していて、あちこちでワイワイみんながしゃべっていたのに、ウソのようです。
この店には甘いものもあり、OLも多かったのに。「お多福」の人も、今年閉める店多いですわ、と云っていた。
喫茶店も居酒屋も寿司屋もこうしたお店も、チェーン店ばかりになってしまって、個性的なお店が潰れていく。どんどん殺風景な街になっていきます。

2012年12月2日日曜日

晩秋ならでは、錦織の光景


もう秋も終わり。最後の紅葉でも見ようと、真如堂から南禅寺方面へ。93番のバスに乗って、丸太町通りを西から東へ一直線。岡崎神社から黒谷さんの方へ、そして真如堂へ。さすが、紅葉の名所だけあって観光客の多いこと。
近づいて見れば、紅葉はだいぶカサカサに枯れ散ってはいたが、少し離れて見る落ち葉のグラデーションもまたきれい。

真如堂から白川通りの方に抜け、岡崎の野村美術館の方から南禅寺へ。ちょっと中に入ると人も少なくなるが、南禅寺に近づくとまたすごい人。湯豆腐やを食べさせる有名な店は、お客さんがずらっと並んでいた。ボクたちも何か食べたいと思い、岡崎方面へ。

行きたかったそば屋が閉まっていたので、グリル「子宝」へ。いつもいっぱいなのに、なぜか2人しか並んでない。今日はいつものオムライスはやめてハイシライスに。ここの兄ちゃんはお水をおかわりすると、グラスから水のポットを80cmくらいあげて滝のように落下させてくれる。お兄ちゃんも楽しそうに入れてくれるから、このお店にきたら水のおかわりは必須です。

きれいな紅葉も、もう終わり。誰が写真とっても美しい京都の秋です。

2012年11月19日月曜日

「琴きき茶屋」の櫻もち


嵐山は渡月橋の北詰に「琴きき茶屋」というお店があります。そこの「櫻もち」は、餡が入っていません。お餅と塩漬けの桜の葉だけの、とてもシンプルな「櫻もち」です。餡が入っていないとなにか頼りなさそうですが、大きな桜の葉2枚ではさまれたお餅は、「なるほど」という上品な味、緑茶がよくあいます。

なんでもこの店はもともと車折神社の境内にあったそうです。昔の車折神社は桜の名所で「櫻の宮」と呼ばれていたとか。その境内で「櫻もち」を出していたお店が、車折神社の頓宮が渡月橋畔に造られた時に、その隣りに引っ越したそうです。(頓宮が造られたのは昭和の話。この茶屋がほんとうに車折神社の茶屋の流れをくんでいるのか、なかなか怪しいのですが)

この「琴きき茶屋」という店の名もよく出来ています。渡月橋が出来る前に、もともとこの辺りに「琴きき橋」というのがあったらしい。橋のたもとに石碑が立っています。
時代はまさに平清盛の時代。高倉天皇に見初められて愛されたがため、中宮である徳子の父・清盛の逆鱗をかった小督(こごう)の物語にちなんでいます。「峰の嵐か、松風か、尋ねる人の琴の音か・・・」   琴の名手で知られた小督。琴の音を頼りに、嵯峨に身を隠していた彼女を、高倉天皇の命で探しあてたその場所がこのあたり。「琴きき」の話。大河ドラマでも、次か次の日曜にはそんなエピソードが挟まれるかもしれません?

例の介護プレミアム券で買えるのは、こんな嵐山のお土産なのであります。

2012年11月12日月曜日

使えない! 介護保険の商品券



うちのオヤジは91歳です。家内のお母さんは92歳です。こうした高齢者で、介護の支援とかを受けていないお年寄りに「奨励金??」がいただけるアンケートが夏ごろにあり、10月に京都府の介護保険返戻商品券というカタチで送られてきました。
ここからがお役所仕事のいい加減なところで、実に腹がたつ次第であります。

その「プレミアム商品券」をいただけるのはいいのですが、お年寄りに金券をあげるなら、ついでに地域振興もしてしまおうという浅はかな発想を持ったために、全く使えない「商品券」となっています。

その商品券の失敗(1)
地域振興はいいのですが、その商品券が使えるのはうちの場合は嵯峨野とか嵐山の商店街でしか使えません。健脚のボクラでも歩いて30分はかかるところへ、90以上の年寄りにどうしていて来いというのでしょう。バスや電車に乗るというのも家の者にとってはけっこう心配なのです。
ちなみに義理の母の場合も、歩いて20分以上かかる商店街が指定地域になっていました。

その商品券の失敗(2)
お役所はその商店街や街のお店の種類まで神経を使ってません。うちの対象の嵯峨野や嵐山のお店のほとんどは観光客相手のお土産さんや食堂・レストランなどです。まぁ、日常生活で使えるのはお酒やお茶といったモノくらいでしょうか。せめて、もう少し日常のお買い物ができる店を入れてくれよ。

その商品券の失敗(3)
有効期限は来年1月15日まで。3ヶ月の間に使ってしまえ。早く使わないと期限が切れるよという、年寄りの消費行動を無視した期限であります。

一人35000円ほど送られてきたのですが、そのうち5000円を地域振興で使っていいから、あと3万円はどこでも使えるJTBの商品券にするとかせいよ。それがダメなら市バスの回数券3万分に。それなら金券ショップで売ることもできるし。

うちの場合はオヤジから買ってやることにしました。そうしましたが、どこで何に使うかこれから思案しなければ。義理の母はみんなで何か食べに行こかといってます。
それにしてもお役所仕事の貧困さには、腹がたつ。もう少し考えろよ。「賢い方法でやりました」という顔が見えてくるから、余計腹がたつ。ほんと想像力がないなぁ。

2012年11月4日日曜日

古代奈良漬を探してぶらぶら


初めて桜井市の大神神社へ行ったのは、Cityに乗っていた頃なので、もう20年以上昔の話。大神神社へお参りした後、金屋の石仏というのを探していた時に出会ったのが小さな山の上のうどん屋でした。大神神社の横裏のあたり。うどんを食べに入ったら大きなポリバケツがいっぱい並べてあって、自家製の奈良漬を作っているとか。これが初めての、全然甘くない古代奈良漬でした。その奈良漬がおいしくて、3・4年後もう一度買いに行ったこともありました。

山辺の道の帰りに、その古代奈良漬けを探してみました。何しろその当時からおじいさんとおばあさんのお店。3時ころにはもう店を閉める準備してたから、店は開いてないなとは思っていましたが、見つかりませんでした。帰りにJR三輪駅の前のタクシーの年配の運転手さんに聞いたら、おじいさんが亡くなってからその「山川茶屋」はやってない、とのことでした。

JR奈良から近鉄に乗るべく広い通りを歩いていると、奈良漬屋さんが多くある。その一軒に入り、甘くない奈良漬が欲しいというと、甘さは人によって違うからと云われてしまった。さらに砂糖を入れない奈良漬は苦いばかりで美味しくないと。味見させてもらったら、そこそこ甘い。まぁいいかと、すいかと大根だけを買いました。
さらに歩いて行くと、ご大層な門替えの老舗の奈良漬屋さん。一目見ただけで高そう、という感じ。きっと奈良では有名なお店なのでしょう。

高くて失敗してもいいやとお店へ入ったら、主人が「うちの奈良漬は思うてはる奈良漬と違います」といきなりきたもんだ。「デパートの奈良漬のように甘くありません」 「色が黒くてびっくりされる人多いので説明させてもらっています」 「食べる分だけ洗って、冷蔵庫で3~4日ラップかけて寝かせてから召し上がってください」 「奈良漬は賞味期限で選んでください、うちのは2年、常温でもちます。」 「いろんな甘味や添加剤をいれるから日持ちしない」 「江戸時代は冷蔵庫なんてないでしょ、奈良漬は日持ちするもんなんです」 この「江戸時代に冷蔵庫ないでしょ」というのは3回ほど云うてはったわ。

でも味見させてもらったら、これがおいしい。全然甘くない。そういえば、あの三輪の「山川茶屋」の奈良漬も黒かったのを思い出した。三条通りの「今西本店」というお店。酒の香の濃い、独特の奈良漬け。ああ、ぶらぶら歩いてると、いい発見もあるもんだ。

2012年10月28日日曜日

山の辺の道てくてく


前から歩きたかった山の辺の道へ行ってきました。今回は天理から大神神社までの南のコース。
天理の長い商店街の中でうどんを喰っていざ出発。12時ジャストでした。コースは、ぶらぶら石上神宮へ行き、夜都岐神社から、竹之内環濠集落を横目に、崇神・景行天皇陵、桧原神社から大神神社へ17:00着というコース。

道は細いアスファルトの道4割、地道・あぜ道4割、石畳2割という感じ。
柿はたわわに実り、稲刈り風景もあちこちに、早生みかんも出来ていて、思いがけず秋真っ只中でした。これから紅葉が深まってくれば、ますます黄金色に輝く散策道となることでしょう。東海道自然歩道の一部で道標などの案内板もバッチリ。とくに天理市はお金持ちなのか、道に迷うことはありませんでした。これが桜井市に入ったあたりから、ぱたっと道標が少なくなってしまいましたが。
天理の街中を歩いたのは初めてで、天理教の施設の大きさと数には圧倒されました。すれ違う人の殆どがあの黒い天理教の法被を着ているので、ちょっとSF映画のようで目眩がしました。

山の辺の道は歩く人だけでなく、写真を撮る人、絵を描く人、歌の石碑を訪ねる人、考古学を勉強する人、山の方へ足を伸ばして山歩きする人、それぞれに興味深いコースがいろいろあるようで、こちらの勉強次第で何度でも楽しめそうな奥の深い道。今回行けなかった大和神社や長岳寺などもまた訪ねてみたいと思います。


見たかった桧原神社の三ツ鳥居を見て、大神神社へ向かう頃にはもう夕方。大きな夕日が二上山の方に沈む景色も圧倒的な美しさ。さらに、その夕暮れの陽差しが木々の間から挿し込み、三輪山に点在する小さな神社を照らしていたのは神々しさを感じる一時でした。大神神社の帰りには奈良漬を捜すという目的があったのですが、その話はまた次回に。



2012年10月21日日曜日

町から地道がなくなっていく



アメリカの絵本で、一面麦畑かコーン畑だったところに家が建ち始め、鉄道が通り、街になり、大きな道路ができ、高速道路ができ、都市になっていくというのがありました。

ボクが住んでいる町もそんな感じです。今住んでいるところにやってきたのは幼稚園に入る前。町内は20軒ほどでした。今でいう新興住宅地。それが今は250軒の町内会になっています。その反面、昔からの住人は歳をとり、引っ越していったり、亡くなったり、家を売られたりして、昔からの住人は残り僅かです。写真のような地道も、京都の街中では、もう天然記念物なのでしょう。

近頃の町が失ってしまったもの= たんぽぽが咲くたんぼのあぜ道。花火が見えた空。つつじや金木犀が薫る庭。となりのテレビの音が聞こえてくるお付き合い。子どもたちの駄菓子屋。夕涼みの床几。道で遊ぶ子どもたちの声。子どもを叱る声。機織りの音。お百姓さんが働く姿。ろばのパン屋さん。リヤカーのお豆腐屋さん。肥取りのおじさん。八百屋さん。お寿司屋さん。うどんやさん。でこぼこ地道。水たまり。水が流れる溝。ポン菓子やさん。修繕屋さん。まだまだあるなぁ。

なんて贅沢な暮らしだったのでしょう。こうして書いていくと、家と家をつなぐ町の道にこそ、暮らしがあったんだと気づかされます。道が「場」ではなく、たんなる通り道になってしまった時から、暮らしの匂いはどんどん薄くなってきているのですね。
さて、新しい町の設計ではなく、今生きてる古い町の中で「昔の道の機能」をどう取り戻していくか。これはなかなか大変な課題だわ。ご近所で昔から(50年以上前から)よく知っていたご夫婦が突然引っ越され、ちょっと感傷的になったのでした。

2012年10月14日日曜日

神戸をぶらぶらハッピーアワー


 先週の土曜日は、神戸をお散歩した。前回は、六甲道から王子動物園の方を歩いたので、今回は元町から北の方へ上がっていった。目標はないが、異人館の立ち並ぶ界隈より西へ行くイメージだった。海を見ながら歩くのもいいが、神戸らしい坂道を探して、アップダウンするのがいいのだ。

まず目に入ったのが「県庁」の内部公開だった。戦争で焼けていたのを当時の設計に基づいて建て直した建物らしい。京都府庁よりゴージャス。新しい建物で風格はないが、震災も乗り切った。会議室の広さは半端じゃない。お勉強もいろいろ出来る。ふ~む、初代知事は伊藤博文だったのか。なぜか、世界のカブトムシ展のお部屋もあった。

出てすぐ近くには「相楽園」。あと2週間程で菊花展がはじまるとか、今回はパス。この辺は以前、維新探検隊で歩いたところだ。さらに東に行って「関帝廟」へ。中国式のおみくじ200円なり。
ぶらぶら歩くと、今ドラマで真っ最中の「福原」が近い。さっそく「祇園神社」や「雪御所跡」を訪ねてみる。大きな建物群が多く、海を近くには感じられないが、清盛の頃は目の前、真下に海が広がっていたのだろう。土曜日。子どもたちの下校時間。下へ上へ、坂道を散っていく。箒をもった5・6人が駆けてゆく。あ~、いい感じ。

観光客が少ない。もっと多いと思っていたが、「清盛」はブームにはならないのか。空いていてタスカルが。
ぶらぶら歩いて、港の方へ。この辺りはさすが、観光客でいっぱい。ハーバーランドでモザイクのミュンヘンへ。入船出船の港を見ながらオープンテラスで乾杯。灯りがじょじょに灯っていく。風が気持ちいい、ビールタイムだ。ハッピー料金はなかったけど、ミュンヘンは安い。生中3杯をふたり分とソーセージやナン付きカレーなど3品で、合計5010円。2時間いて、とてもお得。
中華街を歩くと、30分くらい待つの平気よというお客さんで溢れている「老祥記」も、今日は並んでいる人が少ない。待つこと5分、名物「豚まん」をゲットして帰る。

2012年9月30日日曜日

懐かしの比叡山スキー場


 京大農学部が主催するツアーで、スキーを始めた話は前に書きましたが、悲惨な体験をしたにもかかわらず、スキーにはまってしまったボクたちでありました。そのスキーの練習場となったのが、この比叡山の人口スキー場であります。
前の愛宕山スキー場のブログで、えっ~比叡山のスキー場もうないの?という声にお応えして、写真をお見せしましょう。これも3年くらい前の写真ですが、比叡山に登った時のものです。当時は全部レンタルで、板やブーツを借りた別棟も埃だらけでした。


こんなたらたらの斜度のスキー場ですが、初心者の頃は、斜度のない端の方を滑っていたのだから笑ってしまいます。それも15分並んでは、3分で滑り終わるという感じ。京都市内にスキーができる場所はここしかないのだから仕方ありません。山を越えれば、花背とかササリとかあったのですが、ちょっと遠いのです。ツルツルの山道が渋滞するから、車が滑り落ちてきたりして、それはそれでヤになるんです。
八瀬までいって、ケーブルカーで比叡山上へ。そこからつるつるに凍った階段を上がり、降りる。この方が怖かったりして。ツルッと滑って尻餅をつくと、とても痛かった。

若い時の楽しさを、思い出させてくれる場所が一つずつ無くなっていくのは、仕方が無いですが寂しいものです。こんな風にして、中学校や高校の校舎も無くなっていきます。小学校の校舎が奇跡的に残っているのも時間の問題なのでしょう。そこでは、建物だけでなく、古いけど大切な空気までが失われていくようで。これからの若い人たちは、ボクたちの時よりも、もっともっと積極的に自分たちの場所を探していかないと、「大切な場所」に巡り会わずに過ごしてしまうのではないかと思ったりします。それはとても残念なことです。

楽しくなれる「大切な場所」探し。それはこれからの時間でも大切なテーマです。

2012年8月26日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #12 愛宕古道 ●●

「嵯峨野の裏道」を書くのは、2年ぶりくらいです。サボってました。そして今回の道は、裏道ではなく、堂々とした表の観光街道です。休日のお昼には観光客がいっぱい。嵐山から化野念仏寺に向かう、愛宕古道(あたごふるみち)です。釈迦堂(清涼寺)から、落柿舎、二尊院、祇王寺、化野念仏寺、鳥居本を抜け、清滝から愛宕山の愛宕神社へむかう古道です。
昨日この道を歩いたのは、この古道に沿って1.5kmほど行灯が灯される「街道灯し」があったからです。地蔵盆にあわせた、この2日間だけの行事とか。嵯峨美の学生や、近くの小学生たちが描いた行灯やオブジェが楽しめます。鮎で有名な「平野家」さんのあたりは人が多かったけど、全体に人が少なく感じられたのは、この行事が知られていないから?それとも、ちょっと時間が早かった?
昼間は人とお土産屋さんでいっぱいの嵯峨野観光のメインルートも、夕方は閑散。こうした行事がなくても、夕方にこの古道をそぞろ歩くのもいいみたいです。帰り道、近くの小学校では盆踊りが始まろうとしていました。

2012年8月15日水曜日

五条坂の陶器まつりをぶらぶら

先週、ツイッターを見ていたら、明日から清水五条坂の陶器まつりという情報。そうか、そんな季節か。昔はよく行ったのですが、最近は買っても、食器棚に入れる場所もないし、特別欲しいというものもなかったのです。

ところが今年は、ある本で読んだ、「鳥獣戯画」の絵付けの清水焼の急須が気になり、屋台よりもセールをしているお店を中心に回ってみたかったのです。そうした目的で歩いてみると、清水焼の老舗にもあるわあるわ。「鳥獣戯画」の器のなんと多いことか。何十万というお値段のはるものは大事そうに置かれていますが、3万円のお茶碗も800円のお茶のみも、同じように並べられています。

さてまずは、目についてしまった普段使いのちょっと高めのお皿。さらにいろいろお店をはしごして、普通の湯のみと、とてもお安い、訳ありの丼をあがないました。この湯のみは氷2かけらに冷酒を入れて呑むのにぴったりだわい。前に京都博物館で衝動買いしたお猪口とあわせて、「鳥獣戯画」シリーズが揃ってしまいました。

帰りはぶらぶらと、四条方面へ。王貞治さんお気に入りの「北京亭」という中華料理屋さんへ行こうと思ったが場所を間違えたみたい。見つからない。この前行ったときは交通事故で休店だったので、まだ休店中だろうと勝手に納得。目の前に東華菜館が現れたので、その川床で、ビールと中華を食べて帰りました。

今年の陶器まつりはもう終わってしまいました。
いつもは暗くなってから夜店の感じの歩道を歩くのですが、今年は夕方5時頃から歩きました。明るくて陶器もよく見れるし、人も少ないのでおすすめ。ちょっと西日はキツイけど、爽やかな風が五条坂を抜けてゆきます。

2012年8月12日日曜日

比良の山荘で、鮎に舌鼓

いや~、ゴージャスな週末ではありました。
若い頃からずっとお世話になっている代理店のデザイナーのK林さんが山荘を建てるという話を聞いたのはもう随分前の話。大工さんに頼んでももう一つうまくいかないので、自分で建て始めたという話も聞きました。その山荘が建ったので「おいで」というお誘いを受けてから5年は過ぎたでしょうか。会社をリタイアされて、ちょっと疎遠になってはいましたが、今年ひょんな事で、またメールなどすることになりました。

湖東と湖西。滋賀のお酒を2本持って、お伺いしました。「比良」は京都駅から新快速&各停で30分くらい。その気になればとても近いのです。電車を降りれば懐かしい笑顔。さっそく近くの温泉へ。
夕方からぼちぼち呑み始めました。まず、およばれしたのは、「山うに」。豆腐の味噌漬けを発酵させたチーズのような濃厚な味わい。名前は知ってましたが、食べたのははじめて。クセになりそうなおいしさです。
そしてメインディッシュは、昨日安曇川で釣ってきたよという、鮎。色もカタチも最高。なんでもこのシーズンが一番大きさがいいとのこと。オレンジの筋もきれいです。塩焼きを頭から、がぶり。

食卓からテラスに場所を移して、さらに乾杯。ここでも「おすすめなんや」という、鮎の一夜干しをいただきました。
昔から、何回、鮎をいただいたことでしょう。ある時は「鮎ぎょうさん釣れたから取りに来い」ということで、お宅に伺ったことも、川からそのまま軽4輪で西院までお届けしてもらったこともありました。
毎年、美味しい鮎を釣って食べる。いい趣味だなあと思うのですが、僕には出来そうもありません。
染色家で美人の奥様といっしょに楽しい時を過ごし、お泊りまでしてしまいました。
ほんとうにどうも、ごちそうさまでした。

2012年7月26日木曜日

やれやれ、の夏がはじまった

なんかねぇ、パソコンとWiFiの関係がうまくいかなくて、インターネットが使いづらい。全く繋がらないわけではないけれど、1分ごとに切れてしまう。で、ネットしようという気になかなかならない。困ったものだ。

京都は、祇園祭も終わって、梅雨があけて、蝉が鳴き出した。
今年は、宵々山にでかけて、鉾のお囃子を聞きながら、四条より南の路地をうろついた。屋台も、最近はイタリアンやレストランの若い人達が店の前で、おいしいものを提供してくれる。ワインやビールを飲みながら、キッシュやタコスや、シシカバブなどを食べられるのだ。特大の佐世保バーガーはあまりに大きくて、ハーフを食べた。こうして食べ歩きしながら、そぞろ歩いた。
なんか浴衣姿の留学生の女の子がやけに目立つ。前を歩いているおじさんは「写真撮りませんか」と誘われていた。ほぉ~。寄っていったおじさんはカメラを渡されていた。おいおい、「写真撮ってくれませんか」と、ちゃんと言えよ。おじさん、がっかりしてるじゃないか。

祇園祭の夕方はいつもひどい夕立に会うのだが、今年はなかった。そのかわり、14日の夜に、ゲリラ豪雨ではすまされない、すごい雨が2時間ほど降った。この雨で、近所の多くの側溝から水が溢れ、道が川のようになっていたみたいだ。1階のお店のフロアも水浸しになったし、向かいの中華料理店も床上浸水でこの日は営業中止だった。
自転車で様子を見に行くと、奥嵯峨の方が酷かった。大文字の鳥居の近くの山では、土砂崩れが起きていた。

さぁ、オリンピックもはじまった。なでしこサッカーの快勝からスタートだ。先週の全英ゴルフにつづいて、寝不足の日々が続きそうだ。

2012年7月7日土曜日

家人が育てるモロッコいんげん

カノジョは今年はプランターで、「いんげん」を育てている。ワタシは本当は、紫色の花のきれいなソラマメを育てたかったのだけど、種を撒くタイミングがわからず(忘れていて)、いんげんになってしまった。

いんげん君は、繁殖力がスゴイ。GWのころ同じように種を蒔いたのに、朝顔の方はまだヒョロロと、か細い茎を伸ばし始めた段階。本気になるのは梅雨が終わってからよ、という顔をしている。なのにいんげん君は、もう十分に本気で、白い花を咲かせ、食べられるほどの実までつけ始めた。
ゴーヤもスゴかったが、いんげん君もスゴイ。これは、観賞用の植物と、収穫用の植物との生命力の違いなのか。同じ蔓科の植物なのに。

越冬をしたハイビスカスは3本のうち2本。1本はたくさん花が咲いているが、あとの1本はまだその気が見えない。ブーゲンビリアは4本のうち、3本が越冬に成功。やっと小さい濃いピンクの花を咲かせ始めた。横のほうでは、種から育てている藤の木の若い枝が、ナマズのヒゲのように暴れまわっている。

今年の夏はどれくらい暑くなるのかしらん。大雨ばかりでは、ハイビスカスもかわいそうだ。いんげん君の日陰の下では、ししとう君が気持よさそうに実をつけ始めた。

2012年6月22日金曜日

ブルーのAO号でお出かけ

自転車を買った。8年ぶりだ。今まではGIANTの安価タイプに乗っていたが、手入れが悪く、サビサビになっていた。サドルもボロボロに朽ちて、乗る気になれない。ぶらぶら散歩が好きなワタシは、ぶらぶら自転車散歩も好きで、前は京都の町を横断して、東山辺りまでお出かけしていた。
チリンチリン

新しい自転車はライトウェイという日本のメーカーのもので、近くの自転車屋さんで2年前のを1万8000円ほど値引きしていた。8軒くらいの自転車屋さんを見て回ったが、結局ご近所の自転車屋さんにベストのものがあったわけだ。型の古いのは気にならない。安くて、きれいな色のが欲しかった。

さぁ、これからは時間もあるし、自転車散歩もガンバルぞと思うが、2時間乗ったらさすが腿が痛くなってきた。最近あまり乗ってなかったからなぁ。でも前みたいに尻が痛くない。サドルの材質も良くなったのだ。

京都は自転車にピッタリのサイズだ。西から東へ横断しても1時間ほど。ただ、南から北へずっと上りになってるので、帰り道に登りが続くのはツライ。どうしても帰りのラクチンを考えて、北へ北へと道をとってしまう。鴨川や桂川といった川縁のサイクリングロードが整備されているのもうれしい。これからはチリンチリンのお気楽さんぽも増やしていこう。

2012年6月6日水曜日

40年前から鴨川で呑んでいる

この頃、大学の時の友だちと会うことが多くなった。このメンバーとは3・4年に1回だったゴルフが、半年で2回行った。もうすぐ3回目の予定も入っている。
この前は、広島から出てきた(出張で仕事に来た)友人と鴨川の川床で呑んだ。飛び込みで入れる、手軽な床だったが、気分は満点。すこし寒いかなと感じるくらい。夏の床と違って、今頃の床はトワイライトタイムが長い。目の前に南座とレストラン菊水。7時半頃まで、夕空は明るかった。
昔、クラブの歓迎コンパの折、鴨川に入っていく酔っぱらいを止めたのも、この辺りだ。しかし、この友人とサシで呑むのは多分初めてだな。息子が来月結婚するらしい。

そして昨日は後輩のひとりから、なんと詩集が送られてきた。クラブのOB会ともなるといつも幹事してくれるご陽気な奴なのだが、「詩人」だったとは。なんでも2冊目の詩集らしい。定年のお知らせと一緒に送ってくれた。編集者の言葉を読んでも、詩に関わってきた年月は相当に古いようだ。いやぁ~、びっくりさせてくれるわ。
付き合ってる友人のどれだけの事を、俺は知っているのだろうか。

みんなそろそろ会社勤めを終え、ふるさとに帰っていくように、大事な頃をいっしょに過ごした友達の輪に帰ってくる。そういう、お年頃なのね。これからの付き合いこそダイジにしよう。そうした気分がビンビン伝わってくる。
川床で呑んだ後、そやつと BAR「ターバン」に行った。20代の頃から呑みに行っていた大切な店。久しぶりに顔を出したが、ほっこり落ち着ける。
いかんいかん。後ろを向いて、心地いい気分になっている。
でも、夕暮れの先斗町はやっぱりいい。

2012年5月24日木曜日

神戸のギャラリーPAXREXへ

神戸・元町に PAXREX というギャラリーがある。そのオーナーさんは元代理店のデザイナーYさんで、若い頃、あるクライアントの仕事でいろいろご指導いただいた。うちの会社出身のカメラマンたちも個展でお世話になっているギャラリーだ。
そのギャラリーに会社の先輩が一緒に行こうと誘ってきた。神戸も久しぶりなので、ちょっと出かけた。

「PECHU(ペチュ)さん」という、アーティストの個展をしていた。極細のボールペンで繊細な絵を描くアーティストだ。中学の美術で、シダの葉などの精細な絵を描いた夏休みの宿題を思い出した。何種類かのシダの葉を、胞子の一つ一つまで鉛筆を尖らせて、写生していく宿題だった。念入りに何時間もかけて描いた精密画は、それなりに美しい出来ではあった。でも指にタコができかけていた。

極細ボールペンで描かれたPECHUさん
の、金魚シリーズや宇宙シリーズ。
原画をスキャナーでスキャンし、特別
なプリンタでプリントされ展示されて
いる。イラストレーターというよりデザインで見せるアーティスト。モノクロ、赤と黒、シャープな感覚が都会的でかっこい。

このギャラリーはもう閉めるらしい。Yさん曰く、運営費が大変だし、一週間どこかに旅行ということも出来ないらしい。お疲れさまでした。最後の個展になるかもしれないこのPECHUさんもまだ無名で、いろいろなデザイナーに紹介してほしいとか。あの湖西の酔っぱらいの装丁デザイナーにぜひ紹介したいと思い、絵葉書を買った。

さぁ、神戸出身の先輩はどこへ呑みに連れてってくれるのだろう。
お目当ての居酒屋があるらしい。

2012年5月13日日曜日

BAR探偵の夜

その探偵は、百万遍にいた。大きな通りからちょっと中にはいった、商店街のハズレのような場所だった。夜だったから。正確に言えば1軒目の店で呑んだ後だから、はっきりと見えてはいないが、焦げ茶のスーツを着ている印象だった。木香薔薇が今を盛りにびっしりと咲き、探偵の左半身を隠していた。木のドアの硝子の向こうでは、なにやら多くの人がひしめいている。「今日は貸切です」の文字。特別な夜が始まっているようだ。

その探偵は、BARの名だ。探偵「濱マイク」シリーズで注目を集めた、林海象がやっている店だ。なんでも古い喫茶店が壊される寸前に買い取って、BARにリユースしているらしい。「古いから、内装がいいでしょ。シンメトリーでないところがいいんです」と本人が言っていた。
どうやらこの夜は、開店5周年のパーティの夜だったらしい。連れの一人、謎のウクレレ弾きが強引にスタンディングでOKだからと、ぐんぐん店の中に入っていく。

その夜の探偵は、映画好きのおもちゃ箱みたいだった。造形大学の映画学科の学生たち、映画の照明さん、新聞記者、女優らしい女はカウンターに座ってハイヒールを投げながら浅川マキを歌っていた。
そのカウンターの奥には林監督の秘密の部屋。本箱をギィと押せば、潜水艦のような部屋に入れる。どうやらここが個人事務所で、今夜だけ特別開放らしい。「この赤く鉄さびの浮いた壁、潜水艦らしくていいでしょ。みんなベニアです。映画はベニアです。映画の美術さんはスゴイんです」とうれしそうに説明してくれた。そういえば「探偵事務所は奥へ」の張り紙もあった気がする。

その探偵を、あとにしたのは、日付が変わるちょっと前。湖西に住むもう一人の酔っぱらいは、あわててタクシーに飛び乗って駅へと向かった。

2012年5月6日日曜日

筍を掘ってきた

ゴールデンウィークの真ん中あたりで、筍掘りに行ってきました。昨年亡くなった義理の兄のお友達が、春になったら筍とりにおいでと、誘ってくれていたからです。
その I 氏が住んでらっしゃるのは月ヶ瀬。梅林のすぐ近くです。いつもゴルフへ行く木津の方から、木津川に沿って東へ。笠置を通り、月ケ瀬口から南へ向かいます。京都から約2時間。でもR163は昔より走りやすくなっていました。

この I 氏はなんでもこの月ヶ瀬に移って12年くらい。自給自足的な暮らしをされているそうです。家のまわりにいろいろな食べられる葉の樹木を増やし、畑を耕し、お客さんを招いては旬の味覚をふるまってるとか。
京都に住んでいながら、筍掘りは初めてです。あいにくのぐずぐずの天気の中、裏山へ。よくみる、ふかふかの竹の林と違って、山の斜面に生えている筍は、土も結構固い。小さなシャベルで掘り出して行って、筍の全体の姿が見えてからスコップをグサリと入れて切る。
天気の悪いこともあって、掘りおきしてもらっていた筍とあわせ、たいそうな量の筍をいただいて帰りました。

筍掘りのあとは、奥さんの手料理の山菜づくし。なんでも自然食品の料理研究家とかで、料理のおいしいこと。・たらの芽 ・ウド ・よもぎ ・こごみ ・コンフリー ・ こしあぶら などなど、食べたことのない山菜の天ぷらもありました。
自然の中で、季節を五感で感じて暮らす。街を離れられないボクとしては、こういう人とのおつきあいはとても大切かもしれません。

2012年4月30日月曜日

アンティークの宿題


「葡萄屋」という骨董屋をやっていた友人がいました。亡くなって、もう随分たちますが、彼のお店から買ったいろんな家具はまだまだ健在で、現役で頑張ってくれています。
それらのアンティークたちは、そんなに古いものでもなく、値が張る物でもありません。それでも、今の家具にはない凝ったデザインがさりげなく、なされています。毎日の生活に落ち着いた雰囲気を与えてくれます。

そうした家具に混じって、どう使おうか?という衝動買いしたモノが二つほどあります。一つは、樽のカタチをした洋酒入れみたいなものです。昭和30年代ころ、江分利満氏のような人が応接間のステレオの横に、シェーカーやカクテルグラスを入れておくのがブームだった、そんな代物です。
トリスかなにかの景品?それともトリスバーの装飾品?この樽に、フェルトを張って、ミニバーをつくろうと思って30年。月日の経つのははやいけど、まだ手付かず。なんとか実現したいと思います。

もう一つは、底が野球のホームベースのような、五角形のガラスの入れ物。底面、そして後ろ2面が木製で、天面と前3面がガラスです。なんでも、昔の薬局で薬を入れて売っていたショーケース、と聞いたような記憶があります(けっこうデカイのです)。なぜ買ったのでしょう。今や記憶もあやふや。
きっと、どんな形か、解ってもらえないでしょうね。でも、すぐに撮影できない状態なのです。あしからず。
このケースならミニの温室を作れるかも! 白い砂を敷いてミニ椰子の木などを植え、南国の島のジオラマを作ってやろうと思った日もありました。そんなこんなで30年。なんとかしなければ。お見せすることも出来ません。

2012年4月15日日曜日

不思議な花がいっぱいだわ


不思議な花は見ていて楽しいです。日本の草木の中にも面白いのいろいろありますが、不思議なのは熱帯系に多いようです。そちら系はまず色が鮮やかです。とんでもないカタチがユーモラスです。だからたまには、植物園の大温室に行ってみたくなります。

不思議な植物を見ていると、SF映画の都市空間のなかを飛んでいるようです。もう、ブレードランナーの世界です。また、アールデコのエミール・ガレのガラスの世界に遊んでいるようでもあります。こういう花を家でも育てられたらと思うのですが、無理です。きっと大きな温室が必要で、贅沢な趣味になってしまうことでしょう。
黄色い花はオアフ島のハイキングコースに咲いていた花です。普通に咲いている花らしく、街中でも見かけました。見るからに痛そうな、磔の刑にでも使われそうな木は、ホノルルの街中の植物園にすくっと立っていました。近くに行ってつまづいて、手をついたらもうおしまいです。こんな痛そうな木を見たのは初めてです。










かわいい蕾のような花は府立植物園の温室で見つけました。なにかプラスティックで出来ているような、未来的な花が群生していました。こうした思いがけないカタチの花は、高山植物にも多そうです。高山に登る、というのはハードルが高いので、六甲の高山植物園にでも行ってみることにします。

2012年4月9日月曜日

(2)生駒山を縦走、噂の暗峠へ

お昼を食べて、いざ出発。生駒山頂の遊園地までもう少しなのですが、今日はしんどくてその気力がありません。もう一つのお目当て「暗峠」を目指して歩き出します。歩く道は「生駒山縦走ルート」。くさか園地やぬかた園地など、府民の森を縫うように走るハイキングの専用路。この道がとってもいいのです。もう、ほぼ登りはないという安心感とともにゆっくり歩けば、「ホーホケキョ」鶯の鳴き声も聞こえてきます。

朝は曇だったのに、すっかり青空。木立の間を抜けて進むと、突然、里へと降りてきました。目の前にクルマの通る道が。ここを500mほど登れば、「暗峠」の標識がありました。

「暗峠」そして国道308号。その名は、奈良の友人からよく聞いていました。「細いキツイ道なんや」。しかも司馬遼太郎の本にもよく出てくる道。一度は行ってみたいと思っていた旧街道です。
峠までは、石畳の旧道。お地蔵さんの祠などがあり、農家の間を抜けていきます。峠のそばには茶屋もあり、雰囲気は抜群。絵になる峠です。奈良側からママチャリで来た大学生が家へのお土産を買ったりしています。
ここで冷たいお茶をいただいて、暗峠道を下っていきましたが、聞きしに勝るスゴイ道ではありました。

こんな細い国道があるの? こんな急勾配の国道があるの? 帰ってからGoogleで「国道、日本でいちばんの勾配」とか検索すると一発でありました。「平均斜度20%、最大斜度37%」。 スキーでも35度の壁は絶壁に見える傾斜です。そんな道をクルマが走るのです。あな恐ろしい。このR308、「自動車が通行可能な国道としては日本一の急勾配」だそうです。

先ほどの茶屋で見かけた大学生もママチャリに乗れず、ずっと押して下っていきます。ヘアピンカーブのところでは、ホイルスピンでもするのかタイヤの黒い後がベッタリ。その昔、お伊勢参りの難所と云われた道というのもよくわかります。
こんな急勾配で、車一台分の道だから、対向車が来たらもうゴメン。佐川急便の軽トラの運ちゃんも、対向車を見たとき「アッ」という声がでたようでした。でも大変なのはそれから。泣きながらバックしてました。

午前中の登りも直線的でしたが、このR308も直線的に下っていきます。下りでヒザにくる人にはとてもおすすめできないルートです。この道を下れば枚岡神社。河内国一の宮の神社にお参りして、帰途につきました。

この国道308号については知らない人の、こんなHPがありました。無断転載ですが「酷道」の様子を写真でレポートしてくれています。
http://blog.livedoor.jp/tabichari/archives/53522324.html

2012年4月7日土曜日

(1)石切から生駒山ハイク

しばらくぶりのハイキング。ちょっと足を伸ばして、石切神社から、生駒山へ登ってきました。
まずは近鉄で「石切」へ。行ってみたかった、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祀る「石切劔箭(いしきりつるぎや)神社」へ向かって参道を下る。いつかテレビで見た、あの光景。占い師の店、漢方の店、パワーストーンの店が軒を連ね、独特の雰囲気の参道。ここはおばあちゃんたちの原宿だわ。

参道の途中に「日本で三番目に大きい大仏」さんというのがあった。作ったのは坂本さんとか。そうか、ボクたちの小さい頃から京都・新京極にある「マムシの坂本」なんだ。瓶に浸けられたマムシが店頭に飾ってあった、あの坂本漢方か。石切は漢方の町。坂本さんはここを本拠地に、漢方で稼いだお金を、石切神社をはじめいろんな場所に寄進されていたみたいだ。

神社にお参りして、さぁ出発。グダグダと降りてきた参道を登るだけでも疲れてしまう。はや12時。上ノ宮からまっすぐ生駒山へ。ずっと、ずっと登りです。辻子(ずし)谷ルートという信仰の道らしい。谷ぞいの小道を登って行くと、あちらこちらから香辛料の匂い。カルダモンやニッキなど、カレーでおなじみの匂いが漂ってくる。この辺りは漢方薬製造の里、けっこう大きな工場もありました。
しばらく歩くと復元された、大きな水車。こうした水車が川沿いに80カ所ほどあり、漢方の野草や木の皮を石臼で挽いていたという。

この辺りでまだ、行程の1/3。ここからは「興法寺」を目指し、石の階段道を上がっていきます。道の途中には石仏も多く、なかなかいい道のはずなのですが、もうしんどい。足があがりません。生駒山642m、ちょっとなめていたかも。

こんなに直線的にまっすぐ登っていく道とは思いませんでした。やっとのことで着いた「興法寺」は、行基さんや空海さんが修行したという、いかにも険しい山の中にあるお寺。ここでちょっとひと休みして20分ほど登ると、大阪が展望できる場所へ。大阪ドームも、WTCも、すぐ目の下に。双眼鏡で見ると明石海峡大橋や淡路島まで見えます。
ここでお昼をいただくことにしました。(つづく)

2012年3月25日日曜日

帰り道、宮津で神話探検

カニの時の話で恐縮ですが、賞味期限が切れないうちにもう一席。
帰り道に、前から気になっていた神社がありました。丹後半島の付け根、天橋立にある「元伊勢 籠神社(このじんじゃ)」です。丹後国一の宮でありながら、謎の神社と云われています。
天照大神が伊勢神宮に鎮座される前に遷宮された神社を元伊勢と呼ぶらしいのですが、この神社は二番目に遷宮された重要な神社であるにかかわらず、主祭神が天照大神ではなく、彦火明命(ひこほあかりのみこと)となっているからです。

この神様じたいが謎で、饒速日命(にぎはやひのみこと)と呼ばれ、またの名を大物主神といいます。この神様は、須佐之男の息子であり、その姫は神武天皇の皇后であること。なんでも神武天皇の東遷以前の大和先住民の大王(おおきみ)であり、三輪山の大神神社に祀られているのはこの大王だという説もあります。

そしてもう一つの「天孫降臨」神話をもつ神様で(それ故に存在を隠されたといわれています)、生駒山系磐船山あたりに降臨したことが、石切の「剣箭命神社」の社伝に残っているとか。
この饒速日命を遠祖とするのが物部氏であり、海部氏です。海部氏は先の「元伊勢籠神社」の神官を代々務め、現存する最古の、そして家系図としてはただ一つの国宝「海部氏本系図」が神社にあるということです。

ものすごくヤヤコシイですが、饒速日命(にぎはやひのみこと)という神様に興味を持つと神代の世界が面白く読めるなと感じたゆかりの神社が、カニツアーの帰り道にあり、ぜひ立ち寄りたいと思ったのでした。

さらに面白かったのは、この「籠神社」の奥の宮として「真名井神社」というのが裏手にあり、この神社こそミステリアスな話が多い神社だということです。いわゆる磐座や大樹や山を神として祀る神社ではありました。帰ってから調べてみると、日本屈指の古社とか、日本有数のパワースポットとのことでした(なんにも感じませんでしたが)。
この近くにカメラマンのNさんのお宅があると思うのですが、住所を知らないので今回はパスしました。

2012年3月20日火曜日

間人(たいざ)をぶらぶら歩き

この前、間人に行ったとき、宿でもらったMAPを見ていると、懐かしい場所に出会いました。海水プールと書かれている場所です。中学の夏休み、友達数人とこの町に泊まりに来たとき泳いだのです。
海岸の岩の中に大きな四角いプールが自然に出来ていて、海水が流れこんでいました。3mほどの深さだったでしょうか、潜らないと底には手がつきませんでした。翌日、ふたたび泳ぎに行くと、プールの中はクラゲでいっぱいでした。盆休みの頃だったのでしょう。

それからも間人には何度か来たのですが、このプールのことはすっかり忘れていました。懐かしい場所に行ってみるときれいに整備され、自然に出来たプールはコンクリートで固められ浅くなっていました。手すりが付けられ、同じようなプールが3つ4つと人工的につくられていました。子どもたちには安全な場所にはなったのでしょうが……(海岸プールのすぐ上は小学校です)。 懐かしい場所に還ってこれてウレシイ。すっかり様変わりしていてカナシイ。

さらにMAPを見ていると、歩きたくなるポイントがいろいろ。まずは、登呂遺跡のような竪穴式住居も3棟ほど復元されている場所へ。

その奥には、「斎宮(いつきのみや)」と呼ばれる「竹野神社」があります。丹後一の古社とも云われているようです。鬼退治伝説や奇祭の風習がつたわる古い神社でした。そしてそのすぐ背後には、丹後地方最大の「神明山古墳」があり、登れるようになっていました。
竪穴住居や古墳、神話や間人皇女の伝説、さまざまな古社、そして太古の火山活動による奇岩奇景。カニだけでなく、味わい深い間人です。

2012年3月18日日曜日

ひさびさの蟹旅行へ

ひさびさに、日本海・間人(たいざ)へカニと温泉の小旅行に行ってきました。
昔は、2月・3月になれば知り合いに声をかけて、毎年のように日本海へ蟹ツアーしてました。いざ間人へ、帰りにはスイス村でスキーに。いざ久美浜へ、小天橋へ。いざ網野へ。もう15年くらい前でしょうか。メンバーのメンツは変わっても、いつも10人~13人くらいで蟹を楽しんでいました。

そのうちに、会社をやめていく仲間が多くなったり、バブルがはじけて足並みが揃わなくなったりして、最後は5~6人で行っていたのですが、それも10年前頃まで。蟹には行きたいけどなかなかなぁ、という感じでした。

でも今年は絶対行くぞ!と、個人的に去年から思ってました。朝10時出発。行きは豊岡、久美浜まわり。なつかしい神鍋の山々もまだ雪が白く残っていました。
間人のお宿も全体にきれいになっていました。昔のペンションが料理旅館になっていたりして、湯布院を小さく小さくしたような温泉リゾートの表情がちらほら見えます。今年は、間人(たいざ)の風景のシンボルともいえる「立岩」の近くの、「とト屋」というお宿に泊まりました。

間人(たいざ)という地名は、聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇女にちなんだものらしい。知ってました? 
近くの「立岩」というのは溶岩が垂直に噴き出し固まったものとか。溶岩海岸あり、砂浜あり、祈りの祠や神社があり、伝説や神話があり、しかもエネラルドグリーンの海がきれいなことも有名。京都のノースショアもなかなかのもです。

2012年3月11日日曜日

梅が咲いた、マラソンも最多


この前の3月3日。朝の雨もあがり、午後からは青空も。桃の節句ではありましたが、梅の花を北野神社まで見に行ってきました。3月上旬見頃の情報があり、嵐電の梅電車も走りだしたので、もういいかと思って行ったのですが…。残念でした。境内ではちらほら咲いている木はあるのですが、お土塁(秀吉が作った城壁跡)の梅園はまだまだ。境内はそれなりに人出も多いようです。見物の人だけでなく、受験のお礼の参拝客が多いのかもしれません。

それにしても暖かくなってきました。歩いていると、身体がぽかぽかしてきます。北野神社の東門から出て、おいしい焼き餅のお店に向かいましたが、売り切れでした。しょうがない。上七軒のお茶屋などに仕出しをしているお寿司屋さん「おかもと」で、ひな祭りらしく飾られた、ちらし寿司を買って帰りました。

宮川町もきれいになりましたが、この上七軒も石畳などきれいにしようとしているようです。来年は電信柱を地下に埋設する工事が始まるらしいと、近所の人の声が聞こえてきます。ポスターをみると3月下旬から「北野をどり」の告知。今頃、舞妓さん芸妓さんたちは練習練習なのでしょう。春はもうそこ。花見のシーズンがやって来るぞ~!



ところで今日11日は、東日本の大震災から1年目。そして初めての京都マラソン開催日。朝早いスタートなので、散歩がてら応援に行ってきました。仁和寺ではお坊さんも応援。10km付近ですが、先頭集団が駆け抜けたあとは、まだまだ大集団の渋滞状態でした。かわいそうに福王寺の交差点では、ときどき信号待ちもあったようです。
さて北野の梅は、1週間たち、七分咲きと新聞に載ってました。今が見頃ですよ。

2012年3月2日金曜日

あの頃のスキー、懐かしいなぁ

友人の久しぶりのスキー奮闘の話をきいて思い出しました。ボクたちがスキーを始めたのは「白い恋人たち」で有名になったグルノーブル・オリンピックの前後くらいの頃。初めて行ったスキー場は栂池。京都大学の農学部のスキーツアーに中学の友だちと5人くらいで参加したのが初めてです。流行の(?)トンボゴーグルに、昔ながらの登山ヤッケ、スキー靴はひもで、ビンディングは前にバネを倒す旧式のもの。思い返せば、変な格好ですね。

初めて2日目というまだボーゲンも満足に出来ない初心者のボクたちを、学生のスキーの先生は無謀にも頂上まで連れて行ってくれたのです。
問題は帰り道でした。当然バス道を滑って降りたのですが、ビンディングは凍てつき、バス道も凍てつきガタガタ。誰かのビンディングが外れて直して滑ると、また誰かのが外れる。そんなこんなであたりはもう真っ暗。夜8時を過ぎれば捜索隊が出るという時間でした。ボクたちは半分遭難していたのでした。京大のバカ学生め。
覚えているのは、スキーのエッジとバス道の凍てついた石とがこすれて飛び散る火花がきれいだったこと。冬山登りの人がテントの前でラーメンを食べていたこと。なかなか辛いスキー初体験ではありました。

やたらスキーに行きだしたのはその後、大学に入ってから。体育の単位をとるため学校のスキーツアーにもよく行ってました。ゲレンデは相変わらず栂池、そして八方尾根が多かったなぁ。社会人になっても、冬はよく信州に出かけてました。スキーはヤマハ、ジャケットは白いリバティベル。ヨーロッパのスキーからアメリカのスキーの世界がかっこ良くなってきた時代でした。年末年始を休んで、会社から怒られたこともありました。写真のスノーボードがそろそろ登場という時代。ゲレンデはスキーヤーの天国でした。スキーの話だけで、これくらいの文章なら50本は書けそうです。しかし、写真がないなぁ。

2012年2月27日月曜日

バニヤンツリーの樹の下で


バニヤンツリーというのは見た目には気持ち悪い木で、パイレーツ・オブ・カリビアンのディビィ・ジョーンズ船長のヒゲのようなカタチをしています。しかもデッカイ。赤い花をつけ、見るからに南の島の木という風格を出しております。もともとはインド原産の木らしいです。日本では、日立のコマーシャルの「この木なんの木」のモンキーポッドが有名ですが、向こうではバニヤンツリーがチャンピオンのようです。ハワイ州のランドマークツリーになっているそうですから。

ハワイのワイキキに、モアナ・サーフライダーホテルがあります。いわゆるワイキキのリゾートホテル第1号の歴史を誇るホテルです。この中庭に大きな樹齢100年といわれるバニヤンツリーがあり、そしてその下にオープンエアのBarがあります。浅井愼平がワイキキの写真でよく撮影していた場所です。
このBarのある中庭からアメリカ本土に向けて放送された「ハワイ・コール」というラジオ番組が、ハワイのリゾートイメージをつくっていったそうです。お歳を召した方のなかは「ハワイ・コール」という名前に心当たりあるかもしれません。

そしてこのホテルに限らず、クヒオビーチにも、動物園前にも、インターナショナルマーケットにも、イオラニ宮殿にも、ランドマークのようにこのバニヤンツリーがあります。フラのイベントも、コンサートも、記念写真も、この木が写っていると、あぁハワイだという感じになります。


(おまけ) そうした「ハワイ・コール」の頃の音楽を、あの頃のように一発どりで録音したCDをライアテアが出しました。いわばコニー・フランシスの世代のハワイアンを、カノジョの娘さんが歌っているようなCDです。アマゾンに注文しても二週間ほど待たされたのは、NHKの番組で紹介されたせいでしょう。最近のお休みの日の朝は、このCDを流しています。昔と違うのは、多くの曲が、英語ではなくハワイイの言葉で歌われていることでしょう。