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月に一・二度はフェアウェイも歩こう。お気楽な日々を、お気楽に記録していこう。

お気楽さんぽ

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2012年3月25日日曜日

帰り道、宮津で神話探検

カニの時の話で恐縮ですが、賞味期限が切れないうちにもう一席。
帰り道に、前から気になっていた神社がありました。丹後半島の付け根、天橋立にある「元伊勢 籠神社(このじんじゃ)」です。丹後国一の宮でありながら、謎の神社と云われています。
天照大神が伊勢神宮に鎮座される前に遷宮された神社を元伊勢と呼ぶらしいのですが、この神社は二番目に遷宮された重要な神社であるにかかわらず、主祭神が天照大神ではなく、彦火明命(ひこほあかりのみこと)となっているからです。

この神様じたいが謎で、饒速日命(にぎはやひのみこと)と呼ばれ、またの名を大物主神といいます。この神様は、須佐之男の息子であり、その姫は神武天皇の皇后であること。なんでも神武天皇の東遷以前の大和先住民の大王(おおきみ)であり、三輪山の大神神社に祀られているのはこの大王だという説もあります。

そしてもう一つの「天孫降臨」神話をもつ神様で(それ故に存在を隠されたといわれています)、生駒山系磐船山あたりに降臨したことが、石切の「剣箭命神社」の社伝に残っているとか。
この饒速日命を遠祖とするのが物部氏であり、海部氏です。海部氏は先の「元伊勢籠神社」の神官を代々務め、現存する最古の、そして家系図としてはただ一つの国宝「海部氏本系図」が神社にあるということです。

ものすごくヤヤコシイですが、饒速日命(にぎはやひのみこと)という神様に興味を持つと神代の世界が面白く読めるなと感じたゆかりの神社が、カニツアーの帰り道にあり、ぜひ立ち寄りたいと思ったのでした。

さらに面白かったのは、この「籠神社」の奥の宮として「真名井神社」というのが裏手にあり、この神社こそミステリアスな話が多い神社だということです。いわゆる磐座や大樹や山を神として祀る神社ではありました。帰ってから調べてみると、日本屈指の古社とか、日本有数のパワースポットとのことでした(なんにも感じませんでしたが)。
この近くにカメラマンのNさんのお宅があると思うのですが、住所を知らないので今回はパスしました。

2012年3月20日火曜日

間人(たいざ)をぶらぶら歩き

この前、間人に行ったとき、宿でもらったMAPを見ていると、懐かしい場所に出会いました。海水プールと書かれている場所です。中学の夏休み、友達数人とこの町に泊まりに来たとき泳いだのです。
海岸の岩の中に大きな四角いプールが自然に出来ていて、海水が流れこんでいました。3mほどの深さだったでしょうか、潜らないと底には手がつきませんでした。翌日、ふたたび泳ぎに行くと、プールの中はクラゲでいっぱいでした。盆休みの頃だったのでしょう。

それからも間人には何度か来たのですが、このプールのことはすっかり忘れていました。懐かしい場所に行ってみるときれいに整備され、自然に出来たプールはコンクリートで固められ浅くなっていました。手すりが付けられ、同じようなプールが3つ4つと人工的につくられていました。子どもたちには安全な場所にはなったのでしょうが……(海岸プールのすぐ上は小学校です)。 懐かしい場所に還ってこれてウレシイ。すっかり様変わりしていてカナシイ。

さらにMAPを見ていると、歩きたくなるポイントがいろいろ。まずは、登呂遺跡のような竪穴式住居も3棟ほど復元されている場所へ。

その奥には、「斎宮(いつきのみや)」と呼ばれる「竹野神社」があります。丹後一の古社とも云われているようです。鬼退治伝説や奇祭の風習がつたわる古い神社でした。そしてそのすぐ背後には、丹後地方最大の「神明山古墳」があり、登れるようになっていました。
竪穴住居や古墳、神話や間人皇女の伝説、さまざまな古社、そして太古の火山活動による奇岩奇景。カニだけでなく、味わい深い間人です。

2012年3月18日日曜日

ひさびさの蟹旅行へ

ひさびさに、日本海・間人(たいざ)へカニと温泉の小旅行に行ってきました。
昔は、2月・3月になれば知り合いに声をかけて、毎年のように日本海へ蟹ツアーしてました。いざ間人へ、帰りにはスイス村でスキーに。いざ久美浜へ、小天橋へ。いざ網野へ。もう15年くらい前でしょうか。メンバーのメンツは変わっても、いつも10人~13人くらいで蟹を楽しんでいました。

そのうちに、会社をやめていく仲間が多くなったり、バブルがはじけて足並みが揃わなくなったりして、最後は5~6人で行っていたのですが、それも10年前頃まで。蟹には行きたいけどなかなかなぁ、という感じでした。

でも今年は絶対行くぞ!と、個人的に去年から思ってました。朝10時出発。行きは豊岡、久美浜まわり。なつかしい神鍋の山々もまだ雪が白く残っていました。
間人のお宿も全体にきれいになっていました。昔のペンションが料理旅館になっていたりして、湯布院を小さく小さくしたような温泉リゾートの表情がちらほら見えます。今年は、間人(たいざ)の風景のシンボルともいえる「立岩」の近くの、「とト屋」というお宿に泊まりました。

間人(たいざ)という地名は、聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇女にちなんだものらしい。知ってました? 
近くの「立岩」というのは溶岩が垂直に噴き出し固まったものとか。溶岩海岸あり、砂浜あり、祈りの祠や神社があり、伝説や神話があり、しかもエネラルドグリーンの海がきれいなことも有名。京都のノースショアもなかなかのもです。

2012年3月11日日曜日

梅が咲いた、マラソンも最多


この前の3月3日。朝の雨もあがり、午後からは青空も。桃の節句ではありましたが、梅の花を北野神社まで見に行ってきました。3月上旬見頃の情報があり、嵐電の梅電車も走りだしたので、もういいかと思って行ったのですが…。残念でした。境内ではちらほら咲いている木はあるのですが、お土塁(秀吉が作った城壁跡)の梅園はまだまだ。境内はそれなりに人出も多いようです。見物の人だけでなく、受験のお礼の参拝客が多いのかもしれません。

それにしても暖かくなってきました。歩いていると、身体がぽかぽかしてきます。北野神社の東門から出て、おいしい焼き餅のお店に向かいましたが、売り切れでした。しょうがない。上七軒のお茶屋などに仕出しをしているお寿司屋さん「おかもと」で、ひな祭りらしく飾られた、ちらし寿司を買って帰りました。

宮川町もきれいになりましたが、この上七軒も石畳などきれいにしようとしているようです。来年は電信柱を地下に埋設する工事が始まるらしいと、近所の人の声が聞こえてきます。ポスターをみると3月下旬から「北野をどり」の告知。今頃、舞妓さん芸妓さんたちは練習練習なのでしょう。春はもうそこ。花見のシーズンがやって来るぞ~!



ところで今日11日は、東日本の大震災から1年目。そして初めての京都マラソン開催日。朝早いスタートなので、散歩がてら応援に行ってきました。仁和寺ではお坊さんも応援。10km付近ですが、先頭集団が駆け抜けたあとは、まだまだ大集団の渋滞状態でした。かわいそうに福王寺の交差点では、ときどき信号待ちもあったようです。
さて北野の梅は、1週間たち、七分咲きと新聞に載ってました。今が見頃ですよ。

2012年3月2日金曜日

あの頃のスキー、懐かしいなぁ

友人の久しぶりのスキー奮闘の話をきいて思い出しました。ボクたちがスキーを始めたのは「白い恋人たち」で有名になったグルノーブル・オリンピックの前後くらいの頃。初めて行ったスキー場は栂池。京都大学の農学部のスキーツアーに中学の友だちと5人くらいで参加したのが初めてです。流行の(?)トンボゴーグルに、昔ながらの登山ヤッケ、スキー靴はひもで、ビンディングは前にバネを倒す旧式のもの。思い返せば、変な格好ですね。

初めて2日目というまだボーゲンも満足に出来ない初心者のボクたちを、学生のスキーの先生は無謀にも頂上まで連れて行ってくれたのです。
問題は帰り道でした。当然バス道を滑って降りたのですが、ビンディングは凍てつき、バス道も凍てつきガタガタ。誰かのビンディングが外れて直して滑ると、また誰かのが外れる。そんなこんなであたりはもう真っ暗。夜8時を過ぎれば捜索隊が出るという時間でした。ボクたちは半分遭難していたのでした。京大のバカ学生め。
覚えているのは、スキーのエッジとバス道の凍てついた石とがこすれて飛び散る火花がきれいだったこと。冬山登りの人がテントの前でラーメンを食べていたこと。なかなか辛いスキー初体験ではありました。

やたらスキーに行きだしたのはその後、大学に入ってから。体育の単位をとるため学校のスキーツアーにもよく行ってました。ゲレンデは相変わらず栂池、そして八方尾根が多かったなぁ。社会人になっても、冬はよく信州に出かけてました。スキーはヤマハ、ジャケットは白いリバティベル。ヨーロッパのスキーからアメリカのスキーの世界がかっこ良くなってきた時代でした。年末年始を休んで、会社から怒られたこともありました。写真のスノーボードがそろそろ登場という時代。ゲレンデはスキーヤーの天国でした。スキーの話だけで、これくらいの文章なら50本は書けそうです。しかし、写真がないなぁ。