大洲には大洲城があり、小早川隆景や藤堂高虎といった武将が城主となった。その昔は宇和島や土佐、港の八幡浜を結ぶ交通の要衝の地だったのだ。江戸や明治の町並みが保存され、「おはなはん通り」はテレビドラマが撮影されていたとか。その街のはずれ、肱川(ひじかわ)の川淵を覗くように建てられたのが「臥龍山荘」だ。
木蠟(ろうそく)の貿易で財をなした河内寅次郎という明治の豪商が、10余年をかけてつくった山荘。建築マニアだった寅次郎は、桂離宮や修学院離宮、大徳寺などさまざまな名建築のアイデアをとりいれ、贅を尽くして構想。全国各地から吟味した銘木をふんだんに使い、京都を中心に集めた名工の手でこの山荘を造り上げた。細部には千家十職の細かな技も生きているらしい。
おもな建物は「臥龍院」「知止庵」「不老庵」の三つ。母屋の書院と、二つの茶室を、美しくデザインされた庭がつつみこんでいる。真夏だけに、庭師さんもたっぷりの水をつかって植木の手入れ。飛び石を歩けば、ひんやりして気持ちいい。
なかでも「不老庵」は川淵の崖の松をそのまま柱の一つにしてしまった大胆な茶室。庵は船に見立てられ、天井は竹網代に。その茶室を清水寺の舞台のように、崖から木を組んで支えている。茶室から下を覗くと肱川の川面が光っている。
山荘だから規模は小さく、お寺の裏庭の茶室まわりほど。でも、お金があったらこんな茶室や日本庭園をつくってみたい、そんなことを妄想する人にはとても面白い山荘。小さくてもアイデアがぎっしり。数寄屋建築のジオラマのような山荘。それが100年経って風格を纏い、いよいよ美しさに凄みを増してきたという印象。
夢の淵 あくびひとつを 夏みやげ