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月に一・二度はフェアウェイも歩こう。お気楽な日々を、お気楽に記録していこう。

お気楽さんぽ

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2015年8月25日火曜日

大洲に行ったら「臥龍山荘」へ


法事で九州へ行った帰りに、フェリーで四国・愛媛に渡り大洲へ寄ってきた。大洲の「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」や、内子の町並みを訪ねてみたかったからだ。
大洲には大洲城があり、小早川隆景や藤堂高虎といった武将が城主となった。その昔は宇和島や土佐、港の八幡浜を結ぶ交通の要衝の地だったのだ。江戸や明治の町並みが保存され、「おはなはん通り」はテレビドラマが撮影されていたとか。その街のはずれ、肱川(ひじかわ)の川淵を覗くように建てられたのが「臥龍山荘」だ。

(ろうそく)の貿易で財をなした河内寅次郎という明治の豪商が、10余年をかけてつくった山荘。建築マニアだった寅次郎は、桂離宮や修学院離宮、大徳寺などさまざまな名建築のアイデアをとりいれ、贅を尽くして構想。全国各地から吟味した銘木をふんだんに使い、京都を中心に集めた名工の手でこの山荘を造り上げた。細部には千家十職の細かな技も生きているらしい。
おもな建物は「臥龍院」「知止庵」「不老庵」の三つ。母屋の書院と、二つの茶室を、美しくデザインされた庭がつつみこんでいる。真夏だけに、庭師さんもたっぷりの水をつかって植木の手入れ。飛び石を歩けば、ひんやりして気持ちいい。

なかでも「不老庵」は川淵の崖の松をそのまま柱の一つにしてしまった大胆な茶室。庵は船に見立てられ、天井は竹網代に。その茶室を清水寺の舞台のように、崖から木を組んで支えている。茶室から下を覗くと肱川の川面が光っている。

山荘だから規模は小さく、お寺の裏庭の茶室まわりほど。でも、お金があったらこんな茶室や日本庭園をつくってみたい、そんなことを妄想する人にはとても面白い山荘。小さくてもアイデアがぎっしり。数寄屋建築のジオラマのような山荘。それが100年経って風格を纏い、いよいよ美しさに凄みを増してきたという印象。



夢の淵 あくびひとつを 夏みやげ



2015年8月1日土曜日

阿蘇をめぐって



家の引き出しに、阿蘇のロープウェイ乗り場で買ったメダルが今も残っている。小学生の頃は銀ピカだったメダルが、真っ黒メダルになってしまった。その時の阿蘇の印象は強烈で、ぜひもう一度行ってみたかった。今回、オヤジの納骨の後、阿蘇へ向かったのもそんな記憶を辿りたかったからだ。台風12号が長崎上陸かといわれていた午後3時頃、九州道を阿蘇へ向けて走っていた。

さすが台風の影響。晴れたと思うまもなく雲がわき、霧に包まれ、また光りがさしてくる。パキッと男らしい真夏の阿蘇を期待していたが、ミステリアスな雰囲気の阿蘇に出会ってしまった。今回は阿蘇に1泊したので、いろんな道を走り、南阿蘇の方の白川水源などにも足を伸ばした。しかしついに、高岳や中岳のその全容をみることは出来なかった。山頂付近は雲が降りてきて、まわりは霧状態。ときどき雲が流されると、草千里が現れる。もちろん山頂へは入山規制が続いていて、クルマも、ロープウェイもダメ。雲の切れ目からときどき白く光る噴煙が見える程度。でもかすかに見える噴火口の防空壕のようなコンクリートの塊は昔のままだった。

大きな外輪山に囲まれた阿蘇の風景は、阿蘇だけのもの。高原の感覚もあれば、青々とした長い林間道路もある。ハワイのような雨に浸食されたダイナミックな山肌がいくつも見られ、大きな裾野には畑がひろがっている。信州と違っていろんなお店やペンション、看板がないだけ景色が美しく感じられる。いったい何本くらいの林間道路が静脈のようにこの山々を取り巻いているのだろう。雄大な阿蘇の風景は、クセになりそうだ。

※写真は「ラピュタの道」付近。雲海が出る季節、この道をあがってくると空に続く道に見えるらしい。今は大雨台風で崖崩れ通行止めに。



草千里  緑千色  夏の風


中岳の 噴煙かくす 雲の峰